引き籠もりヒーロー第3巻 校正用外伝

◇◆◇外伝「人類の敵」

 怪人は強い思念を元に発生する存在である。地球に生きるすべての生物、物質の記憶、積み上げられた歴史、星の意思。そういった強い情念、記憶、意思、信仰、概念などが肉体を得たモノ。人間を含む地球上の生物とは本質的に異なるものであり、その特性は実体を持たない霊を受肉させたモノというのが近いだろうか。
 彼らはそれらの力を起源として自然に任せて発生する。その発生プロセスを人為的に利用して創られた怪人もいるが、基本となるものはほぼ共通していると言っていいだろう。
 では、彼らを束ねる上官……そういう設定で表に出てきた幹部はどういう存在なのかといえば、怪人ではあっても出自はまったくの別物である。
 バベルの塔の入り口で、マスカレイドの口を借りてミナミが看破したように、二人目の幹部……通称幹部Bは元人間だ。
『ポーランド出身のサミュエル・ジェリンスキ。”享年”二十七歳。かつて存在したドイツのテロリストグループのサイバーテロ担当で、暴走した挙句にチームを巻き込んで死亡。同業者からは随分嫌われてたらしいな』
 あの時マスカレイドが口にした情報は、完全に彼の正体を掴んでいないと知り得るはずのないもので、特に最後の死に至る部分に関してはまず表に出ていない情報である。それほどまでに彼の処刑は極秘裏に行われ、関連情報は念入りに抹消された。

 彼がドイツの反政府組織に参加したのはまだ十代の頃。テログループとは名ばかりの、特定の思想すら持たないただの暴力集団の末端として参加した。いってみればただの半グレ集団だ。そこを隠れ蓑にして潜伏、欧州各地でサイバー攻撃を繰り返し、技術を磨き、資金を貯め、その数倍の被害を撒き散らす。その被害はどこぞの北米のゴーストとは比較にならないものの、国際的な企業でさえ傾きかねないものだった。
 自分は上手くやっているという自信があった。自らを誇示するのは二流とばかりに、徹底して社会の裏側のみで利益を甘受する。元々持っていた戸籍はすでに死亡した扱いであり、亡霊のような存在として身を潜めていたのである。
 とはいえ、それだけならそこまで珍しくもない事だ。同業者の中でも多く見られる特徴でしかない。彼が非凡だったのはハッキングの腕前と臆病さであり、それだけを磨き抜いた事だ。偏執的なまでに安全確保だけは怠らない。所属するグループが壊滅しても自分だけは生き残るという生き汚さで裏社会を渡り歩く。
 そして、その行為は看過されない段階に達した。放置しては自分たちの立場も危うくなると考えた世界有数のハッカーが連合を組み、集団で以て彼を追い詰めたのである。彼の生きた痕跡を含めて後になんの情報も残さない、参加した者でも全容の把握は困難な一大作戦だったのだ。
 あまりにも順調に終わった事で、あるいは彼の腕を疑問視する声も上がったが、真相は定かではない。すべては闇の中に消えたのだ。

◆◇◆

「ふざけんなっ!?」
 一体なんだコレは。目の前で起きているコレは本当に現実なのか。
 ありえない。ありえない。ありえない。ありえないっ! ありえないっ!!
 自身の技術のすべてを費やして構築したバベルの塔の管理システムが瞬く間に掌握されていく。
 かろうじて追跡できた侵入経路は塔の内部。それも高速で移動している。座標を見れば、それはマスカレイドの駆るバイクからのものに他ならず、そこから先は追跡できない。現在進行形で掌握されつつあるメインシステムの防衛処理で手が回らないのもあるが、仮にフリーハンドだったとしても、これだけのやり手がそれを許すとは思えない。普通に考えて、マスカレイドのバイクを中継して仕掛けてきてるとは思うが、まさかコレがマスカレイド自身が移動しながら、アンチ・ヒーローズを蹴散らしながら行っているのだとすれば……。
 いや、そんなはずはない。コレはヒーローとはまったく別の技術・能力を必要とするモノだ。ヒーロー任命の条件にあるという資質とは掛け離れたもののはずだと聞いている。自分のような者がヒーローに任命される事はないと。
 しかし、こんな事を誰ができるというのか。
 幹部Bは生前、世界規模で見ても超一流だったという自負がある。各所に敵を作った結果、同業者の手によって粛清されたが、個人主義の塊のような世界トップのハッカーが連合を組まねばならないほどに、厄介な相手と認識していたのは間違いないのだ。
 それに参加した誰だろうが、こんな離れ業はできないという確信がある。第一、コレができる奴なら、わざわざ連合など組む必要はない。
「くそっ!」
 とうとうシステム中枢まで侵入された。こちらの処理がまったく追いつけていない。このままでは完全に乗っ取られる。
 あまりにも早い。ガチガチに固めたはずのセキュリティーが、大量の虫に食われるように崩壊していく。まるで、構築者も把握していなかったセキュリティーホールをすべて丸裸にしたと言わんばかりだ。
 一方でイカロスや軌道ステーションとの連結部分のシステムに関しては無事だが、それは単に運営提供のシステムをそのまま使っているからに過ぎない。
 イベントの監督権限を使い運営へ緊急申請するが、上位権限の行使には審査が必要だと待たされたままだ。予定通りのペースでイベントが進行していたなら十分程度の所要時間は妥当だろうが、今は秒を争う時なのだ。さすがにシステム中枢の掌握には手間取っているようだが、このままでは保って数分。どう楽観的に考えても間に合わない。
 どうする。中枢を諦める事になるが、無事な部分との接続を切って時間稼ぎをするか? 掌握までの時間は稼げるだろうが塔の管理に致命的な不具合が出る。最悪、バベルの地上部分が崩壊しかねない。しかし、どの道管理者権限を奪い取られるなら、いっそそれでもいいかもしれない。さすがにいくつかのペナルティは受けるかもしれないが、別にルール上は何も問題ないのだから。ならば、システムを暴走させて能動的に自壊を誘発……。
「な……に?」
 次の瞬間、これまでとは比べ物にならない速度でシステムの掌握が進んだ。ありえない。自分の構築技術がどうとか、相手の技術がどうとかではなく、構造的にありえない。どれだけ高性能なマシンを用意したとしてもこの処理速度を実現するのは不可能だ。
 その動きには覚えがある。明らかに人の技ではなく、上位権限を行使している。自分よりも自然に、しかも申請中のモノよりも更に上位の権限をだ。
「馬鹿な……」
 何がどうなればそうなる。たとえヒーローでもそんな権限は手に入らない。どれだけ強化されようがカタログに載ったりなどしない。自分たち怪人幹部でも通常行使できるのは極わずか、今回のイベントのような場合でも特例としていくつかの権限が付与されるだけだ。それ以上となると、どうしたって運営への申請が必要になる。
 まさか、担当神が動いている? 奴らを縛るルールはこちらにも情報がないが、そんな事ができるものなのか? それなら、それこそ運営が黙っていないはず……。
 予想よりも早く、しかし致命的に手遅れなタイミングで望んでいた上位権限の行使が許可された。
 今更間に合うはずがない。すでに勝敗は決していて、あとはどれだけ遅延させられるかという段階に入っている。
 ……マスカレイドが口にしたド三流という言葉が幹部Bの脳裏に蘇る。これだけできるならド三流扱いもできるだろう。
「ははっ」
 完全に負けた。自分の最も得意とする土俵で、言い訳のしようもないほど圧倒的に。
 その敗北の味は、かつて処刑された時以上に明確な傷となって、幹部Bの中に残る事になった。

 ついでに、何故かイカロスシステムで射出されて星となった緊縛怪人エビゾーリも、幹部Bの中に残る事になったのだっ!!

◆◇◆

「くそっっっ!!!! どういう事だっ! 何がどうなってやがるっ!! なんなんだよ、アレはっ!」
 クリスマスイベントの大勢は開始数時間で決していたが、蛇足のように続いたエリア争奪戦も含めて終了した。
 送られてきた最終的な詳細結果を見た幹部Bは、支給品である携帯型端末を床に叩き付け、叫ぶ。
 人間であった頃から気性に難はあったものの、仕事道具だけは乱暴に扱う事はなかった。怪人になった今でもその気質が変わった気はしない。しかし、それ以上に腹立たしく苛立たしい。暴力的な衝動が抑えられない。
 日本担当のヒーロー、マスカレイドはあまりにも意味不明で理解不能だった。
 資料は事前にもらっていたが、実際に相対したらそれどころではない。ヒーローパワー計測不能といっても、まさか事実上破壊不可能とされた障壁を真正面から突破してくると予想しろというのは無理がある。あれでは足止めする方法さえ存在しないという事になる。
 今にして思えば、ヒーローの参加タイミングのルールを追加したり、当初の予定だった太平洋ではなく日本から遠い大西洋に大陸を出現させたのは、正にピンポイントなマスカレイド対策だったのだろう。それだけではまったく足りず、食い破られるはめになったわけだが。
 アンタッチャブルに近い存在だという認識はあった。しかし、意気揚々と向こうからやってくる劇物だとまでは思っていなかった。
 だからといって、正確に認識していたらどうだったというのか。何も変わりはしない。
「ふざけんじゃねえっ!!」
 ただただ、衝動に任せて部屋の中の機材を破壊する。それは自身の腕を最大限活用できる環境を目指して構築したモノだった。かつてのように資金の面で妥協せざるを得なかった機材ではなく、本当の意味での理想の環境を構築したはずだ。……はずなのに、この体たらく。まったくの役立たずだ。
 使い慣れた規格に固執し、自分の権限だけでフル活用できないソフトやハードを毛嫌いしたのがダメだったのか。いくら強力でも、そんな信頼性のない実態の良く分からないものを使いこなせと?
 いや、仮に最初からそうしていたとしても勝てた気がしない。ある程度はマシだったかもしれないが、結果は同じだったはずだ。なんせ、あちらの攻撃はそういった分野にも及んでいたのだから。ブラックボックス部分は掌握されなかったものの、その部分にはどの道手は出せない。一方で、自分で構築したシステムはおよそすべてが無力化の上で掌握された。予め用意しておいた多数の攻性防壁、トラップ、人為的なバックドアまで念入りに潰されるというパーフェクトゲームだ。
 絶対の自信を持っていた土俵での完全なる敗北。かつて格上のハッカー連合に粛清された時以上の差を感じる。
「随分荒れているな、幹部B」
「……勝手に入ってくるんじゃねーよ、幹部A」
 いつの間にか部屋に入り込んで声をかけてきたのは、人型でありつつ爬虫類や恐竜を思わせるパーツで全身を構成した怪人。通称幹部Aと呼ばれている男だ。AだBだと分かり易いようで分かり難い名称は、実は正式名称である。現在のところはではあるが、実のところ彼らには固有の名前は存在していない。それはやがて来る未来において定められる事だろう。
 基本的に幹部同士の間に序列の差はないのだが、幹部Aだけはまとめ役としてわずかな特権を持っている。明確な権限ではないが、幹部のリーダーという役職もあってか、一応その立場をまっとうしようとしている様子が感じられた。
 幹部Bには出世欲など欠片もないから、誰かが上に立っているのは構わないと思っている。しかし、組織に従順でいるつもりはなかった。
「運営は何を考えてアレを放置してやがる? どう考えても少々の逸脱で済まされるようなレベルじゃねーぞ」
 ジョーカーといえば確かにその通りだが、そんな生易しいものではない。一枚だけ違うゲームカードが平然と紛れ込んでいて当たり前のように使われている状況なのだ。
「おかしいというのは同感だが、それでも尚許容できる範囲と判断しているのだろうな」
「ありえねえだろ。あんな化け物がいたら、パワーバランスもクソもない。ヒーローと怪人だけでなく、人間を含めてもだ」
 文字通り単独で独立勢力にさえなりかねない。そう思わせるだけの圧倒的暴力を持っている。一応、運営の定めたルールから逸脱しようとはしていないらしいが、平気で穴は突いてくるのに許容範囲なのか。
「私が聞いているのは運営の中にはそこそこ好印象を抱く者が多いという事くらいだ。ただ、それだけでアレを放置するには足りないだろうから、更に上から声がかかってるのだろうな」
「神……神々の意向っていうわけか」
 幹部Bはサミュエルだった頃から信仰心をロクに持ち合わせていなかった。古くからのキリスト教国家であるポーランドにおいて敬虔とは言い難いサミュエルだったが、それでもあの神々の存在は衝撃を受けたのだ。そこに鎮座するのが自分の考えているモノと同一とは思えないが、それでもだ。実在は認めるしかないが、少なくとも無条件で信仰できる気はしない。
「まあ、どの道アレはただのお披露目だ。私の時と同様、イベントを開催した時点で目標は達成されている」
「リーダーとして慰めにでも来たと言うつもりかよ、爬虫類」
「実際、あれほど無様に失態を犯してもお前に責などないよ、サミュエル」
 両者の間には埋めがたい溝がある。ほとんどの場合において怪人同士が相容れないように、情念や我を強く持つ者ほど相容れないものなのかもしれない。目的も同じようで、その実バラバラともなれば尚更だ。そして、それで問題ないのが怪人幹部という存在なのである。
「ただ、個人的に言わせてもらうなら、素材の正体を看破されたのは頂けないな。だから、見た目だけでも別物にしておけと忠告しただろうに」
「適性ってもんがあるんだよ。てめえみたいに構造から違うのは論外。別人ってのも気持ち悪いんだよ。ストレス溜まって仕方ねえ」
 幹部Bから言わせれば、自分を作り変えるなど不快感が先に立ってしまう。元々美容整形やタトゥーなども生理的に受け付けなかったが、構造を根本から作り変えるコレは尚更だ。
 一度試しはしたものの、少し変えるだけでも違和感が大きく我慢ができなかった。別に死ぬような事でなくとも、こんな事で日常的にストレスを受けたくないと。だから生前の自分をせめて若返らせて自らの肉体としたのだ。実際、これだけでもバレる可能性はほぼ皆無だったはずだ。……それがあっさりとバレた。死んだ時の自分の顔でさえ、知っている者などそうはいないはずだったのに。
 別にだからといってどこかに不利があるわけじゃない。運営からのペナルティもないだろう。問題があるとすれば、看破された事がただただ気持ち悪いという事だけだ。幹部もまた怪人であるが故に、人間であった頃の自分を嫌悪している。
「ありえねえといえば、アレだってありえねえ。ヒーローの素質持ちって時点でハッカーの可能性はまずないって話だったよな」
「正確には、お前のような専門家はだがな。どう考えても資質が噛み合わない」
「じゃあ、アレはなんだ。本人が言っていた通り、本当にそういう協力者がいるとでもいうのか」
「……状況的にそうだろうとしか思えんが、専門家の意見としては違うのか?」
「…………」
 なるほど、知見のない者にはそう見えるのか。確かにそうかもしれない。となれば、幹部連中でも気付くのは自分だけだろう。
 幹部Bの正体を知るモノは極めて限られる。確実なのは自分を粛清したハッカー連合の連中だが、あそこまで把握しているのはその中でも更に一部だろう。その中にマスカレイドの協力者がいる? ……そんなはずはない。連中の事を詳しく知っているわけではないが、ハッカーとしての本質を凝縮したような連中がそんな事をする気がしない。らしくない。
 もちろん絶対ではない。なんらかの手段で無理やり協力させているなら……いや、それもない。直接やり合った時の感触はむしろ嬉々として仕掛けて来ているように見えた。だから余計に混乱している。
 同じように絶対でない可能性を考えるのなら、連合の連中から情報を抜き取れる奴がいた場合。それをやった本人か、更に流出した情報を掴んだ奴……いや、これもない。サミュエル・ジェリンスキの情報が抹消されるまでの間にそんなタイミングがあるはずはないのだ。大体、そんな事ができる奴がいるなら、連合よりも上の技術を持っている事になってしまう。
 ならば、人間でないと考えるほうが無難なのだが、それができる存在はどう考えても制限に引っかかる。少なくとも、いくつか浮かぶ候補はすべて対象外である。
 マスカレイドがポイントで調べる事もまず不可能だ。幹部は怪人以上に情報が制限されているし、生前のサミュエルを調べようにもある程度の前提情報は必要になる。
「ダメだ、分からん。……案外ゴーストなのかもしれないが、それこそ雲を掴むような話だ」
「ゴースト?」
「北米のゴーストっていう都市伝説があってな。誰も正体を知らない幽霊みたいなハッカーがいるって話だ」
 自称した奴は数多くいるが、当然どれも偽物。足跡を辿ってみれば活動しているハッカーの中にそんな奴はいないという結論になってしまう。
 ただの都市伝説で、いくつかの偶然や欺瞞、そしてタイミングによって奇跡的に成立した伝説のようなものという事で決着しているはずだ。
 それがもし存在して、嬉々としてヒーローに協力している……なんて、どれだけの奇跡を重ねればありえるのか分からない。
 それならまだ、まったくの未知の存在……たとえば運営の外側にいる第三勢力の仕業とでも考えるほうが無難だ。天上の神々には敵だって多いだろう。だが、どうしてもその筋はないと自分の中の勘が告げている。結局、答えが出ないままだ。
「まあ、問題の洗い出しをする時間はある。私もお前もしばらくは出番なしだ。残りの二つに関わる予定はないのだろう?」
「残りの工程は、規模はともかく片手間で済む話だからな。大人しく引っ込んでいる事にするよ、くそ」
 あまりに有り得ない事が重なり過ぎて極めて不快だった。気持ちが悪い。自身の過去を抉られたのも小馬鹿にされたのも許せない。絶対にこのままでは済ませない。

◆◇◆

 柄にもなく荒れた怪人Bが部屋の外へ去っていくのを眺めつつ、怪人Aは考える。
 怪人Bにはああ言ったが、マスカレイドに対して運営がなんの手も打てずにいる理由は想像がついているのだ。
 前回、今回のイベントのみならず、平時でも一見波乱の展開が続いているように見えなくもないが、怪人首領ジョン・ドゥの計画した、あるいは天上の神々の意思を孕むストーリーラインは順調そのものだ。マスカレイドをはじめとしてわずかなイレギュラーは認められているものの、事前に想定された範囲からは一切逸脱していない。
 元々想定された範囲に収まっているのだから、あえて個別に対策を打つ必要があるはずもないだろう。
 爆弾怪人の出現位置を操作したり、マスカレイドが参加し難いようルールを設定したりと、思い通りにいかない事に腹を立てて暴走して失脚した末端職員はいると聞くが、運営そのものはその程度では小揺るぎもしない。
 個体として見れば、マスカレイドは確かに強烈なイレギュラーだ。直接戦闘に向かない幹部Bは元より、特別に戦闘用として調整された自分でもおそらくは相手にならない。成長の余地があるヒーローとは違い、幹部の成長要素などはかなり限定的だ。実際に相見える頃にはどうしようもないほどに差が広がっているに違いない。
 だが、それでもたかだか一個体に過ぎない。今後どれだけ影響力を増そうとも、計画の修正すら起こし得るかどうか。
 それに、強いという事は窮屈だ。それが足枷になって身動きが取り難くなる事は必然。今でさえ、その兆候は見られる。
 直接対峙する怪人にとってはもちろん脅威だろう。脅威とか絶望とか、そういう概念を突破した相手かもしれないが、とにかくヒーローというカテゴリから逸脱した脅威に違いない。
 怪人Aを含む怪人幹部にとっても明確な脅威だ。今のところ真正面からはおろか、有効な対抗手段を持つ者はいないはずだ。
 しかし、全体を俯瞰する怪人首領にとっては、ちょっとした誤差を出すイレギュラー程度の存在でしかない。運営にとってはもっとだろう。
「今のところはだがな」
 マスカレイドがスペシャルな存在である事に疑いはない。ならば、予想を超えてくるとしたら第一候補はやはり奴になるのだろう。
 幹部A個人としては、その方が好ましい。彼にも目的はあるがそれは全体で見れば些細な事で、いざ実行するとなればさしたる労力も必要なしに終わってしまうものでしかない。それこそ、計画には微塵も影響しないような目的なのだ。
 ならば、微調整こそあれど、おおよそ最初に計画した通りに進行するよりは、多少でも波乱があったほうが楽しめる。怪人幹部はそれを演出する事が許される立場なのだから。
 どうせこの生はおまけで渡された幻のようなもの。予め終わり方まで決まっているのだから、どうせなら楽しみたいものだ。

 爬虫類のパーツで構成された顔は表情が読み取れず、その瞳の奥には虚無だけが存在していた。

◆◇◆

 そこは地球上に存在しない空間。位相のズレた隔離空間の中で、怪人たちよりもわずかに上位の権限を持つ者たちが過ごす場所。
 入れ替わりも多いが根本的に数が多い怪人は、その生活拠点に各種公共機関まで備えた一種の街を形成しているが、ここはそもそもの利用者……怪人幹部自体が少ない。華美で広大な空間に多彩な機能を持つ施設が存在しているものの、利用者はほとんどいないというのが現実だ。
 雰囲気は荒れていない廃墟。人口密度が低く、各種サービスで閑古鳥が鳴いているオペレータービルよりも更に閑散としている。

 深い憤りを抱えた幹部Bは、そんな空間をただ歩いていた。目的地のない散歩のようなものだが、生前にそんな事をした記憶はない。必要の有無に関わらず地下に籠もり切りで、人と会話する事が数年単位でないというのもザラだったのだ。なのに、今は内に抱く激情のせいでらしくない事をしている。美しく幻想的な空間はさぞかし散歩に向いているのだろうが、そのどれもが幹部Bを苛立たせる。
 もっとも、この広い空間には幹部以外は誰もいない。怪人はおろか、基本的には運営でさえ立ち入り禁止という事実は心を楽にさせてくれる。
 コミュニケーションの方法など知らない、覚える気もない者にこの人口密度の低さはありがたかった。
 実際、こうして数時間歩いたとしても誰かと会う可能性などほとんどない。……幹部Aのように、狙って接触してくるのでもない限りは。

「お疲れ様。なかなか面白い事になってたみたいじゃないか。ド三流だっけ?」
「チッ」
 明らかに狙って声をかけてくる奴がいた。誰がド三流だと返したいところだが、まだ話の通じる奴だ。幹部同士は基本的に相容れないようにできているから、程度の問題でしかないのだが。
 怪人幹部のほとんどは幹部Aのように人外の容姿をしているが、目の前に現れたのは幹部B同様、人間と見分けが付かないタイプである。おそらく元の姿とは似ても似つかないのだろうが、普通に人間の街を闊歩できるだろう。
 正直、今は些細な口論すら煩わしいと煽りは飲み込む事にした。できれはそのまま立ち去りたいが、着いてこられるのも鬱陶しいと、一応は会話に付き合う事にした。
「次の次はお前の番だろ? せいぜいあの化け物にかき回されないようにするんだな」
「忠告? 親切だね、君。そんな性格だったっけ?」
「幹部同士のマウントの取り合いには興味ないからな」
 味方として馴れ合う気はないが、敵でもないのだ。冷めた表現をするなら、同じ会社の別部署の管理職のようなものである。問答無用で噛み付くような奴でない限り、活動範囲が重なる事はまずない。これが同業……ハッカーであれば話は別だが。
「そういえばお前、生前は日本人だったな。アレについて何か心当たりはないのか?」
 アレというのは当然、銀タイツの悪魔の事である。
 幹部Bは日本という国について詳しくない。情報の氾濫する現代だから当然ある程度の情報はあるが、細かい風土や国民性などは情報がない。アレが日本のスタンダードと言われたら発狂するかもしれないが、そんなはずもない。逆に、あれだけ目立つ特徴なら万が一にでも心当たりがあるかもしれないと問いかけてみたのだ。
「そんな事を言われても、私が幹部になったのは彼の任命前だしね。情報制限のせいで調査ができないのは同じ」
「ま、そりゃそうか」
 思いついたから口にしただけで、当たり前の話である。普通、同じ国の出身というだけでは共通点などないに等しい。同じ都道府県、同じ市町村出身でも知らない相手は山ほどいるのだ。幹部Bなどはそれ以上で、同郷の人間など数えるほどしか頭に入っていなかった。
「大体、アレ本当に日本人? 言動はそれっぽいけど」
「そもそも人間かどうかも怪しいがな。初期任命ヒーローでも例がないわけじゃないし、アレだけ任命期間が遅れれば担当神が何かしら小細工をしている可能性はある」
 というよりも、そういうイレギュラーケースを疑わないと存在自体を受け入れられそうにない。
 アンドロイドか、バイオロイドか、それ以外の人工生命体か、異世界から連れて来たって可能性もなくない。ただ、それがルール上認められる行為なのかは疑問が残る。これまでの数少ないイレギュラーケースは、事前に情報提供されていたからだ。
 例の生前情報やハッキングの件を合わせて考えれば、一体どれだけ逸脱しているのか。どれ一つとっても放置していい存在ではないと思うのだが。
「ああいうのの対処は簡単……ではないけどシンプルだよ。正面から戦わなければいい」
 誰でも思いつくような戦術だが、ド正論ではある。それの可否を無視さえすれば。
「それを強要されるのが怪人とヒーローの対立図なんだが」
「それは怪人の役割だ。私たちは怪人ではあってもその上司なわけだから一歩引いての俯瞰が許されている」
 なるほど、間違ってはいない。別に怪人を使い潰す事に罪悪感などないし、下準備段階の今だと幹部が直接対峙する事はそもそも許されていない。
 単に怪人を肉の壁とするだけなら問答無用で粉砕してくるだろうが、要は使い方の問題だ。
 どうやら自分の脳は正常に動いているなと自己評価する。ある程度は煮えたぎるような憤激と混乱も冷めているらしい。
「今の内に手を考えておけと? バージョン2すら始まってない段階だから、もちろん時間はあるが」
「考えるまでもなく、案外人類諸君が潰してくれるかもしれないけどね。南スーダンの事例みたいに」
 ……アレが? どう見ても狡猾で抜け目のないメンタル強者にしか見えないが、そんな事があるだろうか。
 世界に向けての放送で煽りに使いはしたが、幹部Bの本音の部分はあの事例を望ましくないと思っている。アレはヒーローと人間社会の構造上、ほぼ確実に発生する問題だ。だから、どうせならもっと大きな被害を出し、後に残るような結果を出してほしかった。
 実際にはたかだかアフリカの一国が壊滅しただけ。周囲のヒーローも想像以上に賢明だったのか、後を引くどころか教訓にしているような有様だ。そして、前例ができてしまった事で再発生し難くなるという側面もある。前例ができたから発生し易くなる事象もあるが、これは前者だろう。
「少なくとも、マスカレイドは今までは物理的・精神的両面でピンチらしいピンチに陥った事はない。実際にその状況になればどうかな。極端な例だと、日本中がマスカレイドを糾弾し始めるとか」
「どうやってそれを演出する? 残念だが、日本は世界屈指の安定エリアだぞ」
 日本にちょっかいかけて揺さぶるより、他の国を一つ滅ぼすほうが遥かに容易だろう。
「それは分かんない」
「おい」
「私としては、日本が安定しているのは残念極まるから、荒らす方法がないかなって思うんだけど」
 どうやら私情が絡んでいるらしい。残念と言っている割に、その表情は楽しそうだ。
「……やっぱりお前もそうなのか?」
「多分、私たち幹部はそういう条件に沿って集められてるんだと思うよ。明言はされてないけどね」
 以前より考えていた幹部の条件。全員が元人間であり、何かしら反社会思想を持つ者という事は明らかだが、それに加えて自らの故郷……もっと大きく定義するならルーツに対して負の情念を持っている事が含まれるのではないか。
 少なくとも幹部Bはそうだ。人類や世界を憎悪している以上に故郷……ポーランドへは強烈な嫌悪感を抱いている。叶うなら、この手で無数に分割してやりたいと思うほどに。
 常に超然とした幹部Aはそういったものを表に出す事はないが、眼の前の幹部Dや他の幹部も同じなのかもしれない。
「お前も日本を特別視して滅ぼしたいと思っているって事か?」
「いや? 私は愛国者だよ」
 ……ウザいな、こいつ。
 幹部Bの、マスカレイドに対する憤りで押さえていた苛立ちが正面を向いてしまいそうだ。
「愛国者だからね。すべてを私のモノにしたい。さぞかし愛しがいがあるだろうね」
「……やっぱりイカれてんじゃねーか」
「怪人幹部なんてやっててイカれてないわけないじゃないか。君も同類」
 感情的に同意したくないが、極めて正論である。
 思い返してみれば、脳裏に浮かぶ他の幹部連中は揃いも揃って狂人だ。目の前の狂人はまだ話が分かるほうだと評価していたのは自分なのだ。
「……まあいい。それで要件はなんだ? ボクを煽るためだけに声をかけてきたわけじゃないだろ」
「別段君に用事なんてないけど?」
「あーウゼえな、お前」
「はははっ! いやいや実は本当。ここは私のお気に入りでね。暇な時はいつもここにいる」
「……何かあるのか、ここ」
 自分たち用に創られた場所とはいえ、どこに何があるかなど知らない。やろうと思えばどこでも転送できるので、構造や道順を覚える必要もないのだ。多種多様にサービスを提供する施設が用意されていても、わざわざ利用しようとも思わない。
「ここは天体シアターだよ。天井全体が映像装置になっていて、宇宙を観測できる。……こうやって」
 幹部Dがそう言った瞬間、フロア全体が照明を落としたように暗くなり、半球型の天井に星々が映し出された。
「プラネタリウムみたいなものか」
「そうそう。いいよね、宇宙は。いくらでも眺めていられる。目を凝らせば緊縛怪人エビゾーリだって見つかるかもしれない」
「そんなアホを観測する趣味はないな」
 もっと言えば星を観る趣味もない。自分が生きるのは本来陽の当たらない穴蔵で、暗く狭い孤独に満ちた場所を好んでいるのだ。

◆◇◆

 呆れた声で別れを告げ、幹部Bが去った後も幹部Dは天を仰ぎ続ける。
 リアルタイムで映し出される天体は、ここではなく地球圏のものだ。そもそもここは天を見上げても宇宙などない。
 だから、一番大きく見えるのは青い地球。その次に目立っているのは当然月だ。探せばきっとアトランティス直上の軌道ステーションやエビゾーリも見つかるだろう。
 そして、見る者が見れば違和感を抱かずにいられない輪郭。ちょうど月の裏側に隠れるように、光が反射しないよう迷彩加工された人工の衛星がそこにある。それは、やがて幹部Dが表に出る際にお披露目する事になる怪人の拠点、影月だった。
 宇宙に浮かぶ隠れた要塞。その迎撃能力は、人類が接触しようとして迎撃されている軌道ステーションとは比較にならないものだ。
 大きさこそ月と同じだが、その影響範囲は地球全土に及ぶ。もし使用制限がなく、ヒーローがいなければ、これ一つで地球全土を滅ぼす事さえ可能だろう。
 こんなモノ、ルールがなくとも今の段階でお披露目できるはずがない。まったくもってつまらないし、誰も得をしない。これはヒーローの、人類の成長を見計らって投入されなければいけないモノなのだ。
 今よりも遥かに成長したヒーロー。それでもこの衛星要塞は圧倒的脅威には違いない。どこかの銀タイツは知らないが。
「さてさて、君の出番までどれだけかかるんだろうね」
 そして、どれだけの人類がコレを認識できるのか。ここに辿り着くまでにどれだけの国家が崩壊するのか。案外、国家の数は増えているかもしれないが、人口は間違いなく減っているはずだ。茨の道に違いない。

 人類に逃げ場などない。出現した大陸だけでなく、海も空も地も宇宙も、最初からこうして包囲されている。ただ認識していないだけだ。

 マスカレイドへの評価は変わらないが、実のところ、彼が担当する事で祖国日本は面白い舵取りをするかもしれないと期待している。
 その結果、愛する祖国がどう変わっているいくのかはとても興味深い。
「たとえどう変わろうと、それが日本である限り、私のモノなのだけれど」

 自分以外誰もいなくなった空間で、彼女はただ星を眺める。
 早く自分の出番が来ないかなと、数年後に迫った未来を想像しながら。

2023年1月15日

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