引き籠もりヒーロー第3巻 校正用外伝

◇◆◇外伝「美濃クリスの暴走」

 自分で言うのもなんだが、私は昔から妖精のような子と呼ばれる事が多かった。
 それは見た目を褒める意味合いもあったけれど、ちょっと目を放すと蝶を追っかけて行方不明になるという意味も含んでいたらしい。加えて、いつの間にか妖精の取り替え子になってそうという失言めいた祖母の言葉も影響していると最近知った。
 高校生になった今でこそ落ち着いたものだが……落ち着いた事にしてほしいわけだが、子供の頃の私は今と比べ物にならないほどに目が離せない子供で、ちょっと興味を惹くモノが眼に入るとすぐフラフラ~っと追いかけていって両親を困らせていたようだ。
 日本では目立つ容姿の事もあって、そんな子が良く誘拐されなかったものだと思ったら、実は誘拐されて自力でフラフラと戻ってきた事もあるらしい。自覚も記憶もないのだが、それで誘拐犯が捕まった事もあるのだとか。無意識とはいえ私すげえ。
『一体、誰に似たんだか……自由過ぎでしょ』
 母は事あるごとにそう言うが、父を含む関係者の話では母の遺伝だろうとの事。方向性はまるで違うけれど、唐突に突拍子もない事をして周囲を困らせるのは同じで、まるで無自覚なのも似ているとか。
 唐突にグラビアアイドルになったのも、当時まだ大学生でアメリカから留学してきた父をたらし込んだのも普通ではない。そんな母は今も割と奔放で、良く父を困らせている。でも、仲はいい。そんなに仲が良くて娘にまで開けっ広げにお盛んな二人が何故弟か妹を作らないのかと尋ねた事があるのだが、私を見てると二人目を育てられる気がしないからだそうだ。なんか、どう反応していいのか困る話である。
 ちなみに、本来アメリカに住む予定だったのが日本に住む事になったのは、目を放すとどこかに飛んでいく私を心配しての事らしい。日本でも気が気じゃないのに母国で育てられるはずがないとは父の談だ。
 本人としてはそこまでだったのだろうかとも思うが、誰も否定してくれないあたり、よほど不安になる幼少期だったのだろう。今はこうして落ち着いたわけだが。……落ち着いたわけだが。

 私は覚えていないが、明日香と出会ったのもそんな感じでフラフラしていた時の事だそうだ。近所の友達同士で遊んでいるところに唐突に現れて加わって、解散するまで誰も名前を知らずにいたらしい。子供あるあるな感じだけど、一種のホラーではなかろうか。一人多いんだぞ。
 そして、明日香はどこに帰るのか分からないのに能天気にしている私が不安で放っておけなかったのだという。大人びていて面倒見のいい性格は当時からで、今に至るまでずっと頼りっぱなしだ。迷子になって最初に見つけてくれるのは、両親ではなくいつも明日香だったのだ。
 その認識はウチの両親も同じらしく、目を放すと不安になる娘をある程度自由にさせているのは、穴熊さんちの明日香ちゃんが面倒をみてくれるという安心感かららしい。それを明日香に言うと非常に嫌そうな顔をするが、明日香同伴のオプション付きなら門限や行き先も制限がなくなるのだから、私にとっては死活問題である。冗談のように言っている面もあるが、これは割と深刻な問題なのだ。だって、そろそろ専用のリードを用意する事も検討していたと、どこまで本気か分からない話すら聞かされた事すらあるのだ。
 そんな私だから、日本に住む事にしたのは正解だったのだろうと思う。アメリカで幼少期を過ごしていたら普通に死んでいたか良くて誘拐されていたか、とにかく父の懸念していた通りになっていたはずだ。案外無事だったりするかもしれないが、私が住みたくない。英語喋れないし。
 けれど、日本でだって何も問題がないはずもない。幸い、周りには明日香をはじめとして味方も多かったけれど、この見た目は国際化の進んだ現代日本においても普通に少数派だ。特に子供ともなれば余計に残酷で、クラスの中に一人だけ目立つ子がいれば穏当に言ってちょっかいかけずにいられるはずもない。やーいやーいって感じに。
 日頃から能天気と言われ続けてきた過去を持つと強弁したい私でも、自分が異物扱いされているのは分かる。そんな中で孤立しなかったのは、常に近くにいて守ってくれた明日香のおかげなのは間違いないのだ。英語で赤点とったのをバカにされた時は助けてくれなかったけど。
 あと、異物といえば割と身近にとんでもない大物がいた事もある。

「くそっ、何故俺はこんな普通な見た目なんだ!!」
 いじめがあれば不登校の理由にできるのにと嘆く変な人を見れば、自分の悩みがどうでも良くなるというものだろう。将来の夢が引き籠もりな人にとっては容姿で排斥される事はメリットになってしまうらしい。
「俺のクラスにも、沢渡っていうどう頑張ってもアフロになる天パの奴がいてな。アフロマンとイジられ続けた結果、これ幸いと不登校になったんだが上手くやったもんだと感心したぜ」
「はえー」
「対抗して俺もアフロにしてみたら、爆笑された上に教師からは不登校になった奴もいるのに不謹慎だと怒られた。母ちゃんにアフロになったから休みたいって言っても通じなかったしな」
「にーちゃん、バカなんだなー」
「なんだと鼻タレ。……しかし、未だ引き籠もりライフへの道筋が見えてこない以上、そう言われるのも甘んじて受け入れるしかないのか、くっ!」
 こうして思い返しても、明日香のお兄さんは難儀な人である。
「まあ、俺の事は置いておくとして、お前の悩みはもう少し大きくなれば勝手に解決すると思うぞ。なんなら高校生くらいになったら、何故か金髪や茶髪が増殖し始めるから。そうなったら天然モノのお前がナンバーワンだ」
「へーそうなのか。すげー」
「ついでに、お前の将来の夢通り、ばいんばいんになってたらダブルでナンバーワンだ」
「ばいんばいんすげー!」
 何もすごい事はないのだが、確かに中学、高校と進級するにつれて髪を染め始める人はいた。それとはまったく関係なさそうだが、分別がつくようになって異物扱いされにくくなっていったから、もう少し大きくなれば解決するというのも事実だった。
 どこまで考えていたかは分からないが、案外全部分かっていて、幼い私にも分かりやすいように言っていたのかもしれないなとも思う。
 幼馴染みのお兄さんなのにほとんど会う事はなく、頭おかしい人だとは思うけれども、やはり明日香とは兄妹なのだと実感する事も多かった。後になって思い返すと、この件に限らず言葉や行動の一つ一つが大きな意味を含んでいてハッとされられるのだ。
 ……そんな夢を見た。

◆◇◆

「さ、寒……」
 やけに寒いと思ったら、いつの間にか眠っていたらしい。コートも脱がずにベッドへダイブしたからまだマシだったが、暖房も掛け布団もなしじゃ十二月は寒いに決まっている。家の中なのに凍死するかもしれない。せっかくあんなところから生きて帰ってこれたのに何をやっているんだろうか、私は。
 まー、自覚以上に疲れていて、家に帰ってきて緊張の糸が切れたのだろうとは思う。あんな体験したのだから当然だ。
 とりあえずエアコンを点けて、ついでに電気ヒーターも点けて人心地。横になるとまた寝てしまいそうだから、部屋が暖まるまでヒーターに視線を向けつつ色々考え事をしていた。
 頭に浮かぶのは今日……どれくらい寝ていたか分からないから今日かどうか分からないけど、あの塔での鮮烈な体験。先ほどまで見ていた夢などよりよっぼど夢のような、理解の範疇にない出来事。多分、世界中で見ても……ううん、歴史上で見ても非常に珍しい体験をしたのだと思う。
「あー、スマホ止めないと」
 落としたのが誘拐された空港なのかあの塔のどこかなのか、あるいはそれ以前にポカして落としているという事もあるだろうけど、手元にない以上は止めてもらわないといけない。でないと、謎の巨大な請求が来て怒られる未来が待っている。
 しかし、どうやって止めればいいのか。ショップに電話しようにもその電話がないのだ。服を買いに行くための服がないのに似たジレンマを感じる。うごごごご……。
 良く考えてみれば家の電話を使えばいいのだと気付くまでに数分唸っていた。PCでも契約変更できるかもしれないが、やり方は良く分からないので後回しだ。とりあえずPCで連絡先だけ確認して一階の玄関前へ……。
「……なんじゃこりゃあ」
 そこには思わず声が数オクターヴ下がるような光景があった。いや、見た目だけでいうなら単に留守電の表示がされているというだけの事なのだが、その件数が見た事ない桁になっている。今どき、置き電にかけてくるのなんて業者くらいで、実際にその通りだったのだが、目の前にある異常事態がそれだけのモノであるはずがない。そんな事を考えつつ固まっていたら、電話がかかってきた。……内容は取材の依頼である。
「や、やばい……かも」
 まさか、スマホを落としてなかったらそちらにも掛かってきてたんじゃないよね。というか、これが自分だけと考えるのもダメでしょ。元々連絡は必要と思っていたけど、学校や友人関係まで飛び火するのは明らかだし。
 この状態でショップまで行くのは無理だ。というか、電話すらかけていいものか不安になる。
「ど、どうしよう……よし、困った時の明日香頼み!」
 迷う事なく電話をかけた。何かあったら明日香に頼るのは、私の人生における処世術である。実は調べるまでもなくこの番号だけは暗記しているのだ。
 コールを聞きながら、ひょっとしたら名刺をもらった長谷川さんにかけたほうが良かったんじゃとも思ったが、話していた内容からしてこれくらいの事は折り込み済かもしれない……などと色々と混乱している内に待ち望んでいた声が聞こえた。
『く、クリス、だよね? 大丈夫なの?』
 あれ、なんで分かるの、とも思ったが今はそれどころではなかった。
「あ、あの、色々どうしようかって事になってて……えーと、上手く説明できないんだけど」
『いや、大体分かる。……とりあえず、そこ家だよね? ちょっと問題ありそうだから一時的にウチにでも避難してきなさい』
「なんで……いやうん分かった……けど、今出ていくのってすごい不安になるんだけど」
 途中で取材か何かに捕まって明日香の家まで同行されたりとか、取材ならまだしももっと危険な人が出てくる可能性だってありそう。
 なんとなく、本当になんとなくだが、受話器を持ったまま玄関の覗き窓から外を覗いてみた。
「…………」
『クリス?』
「どうしよう、なんか変な車が路駐してるっぽい」
 覗き穴の先に見覚えのない軽バンの車体が見えた。交通ルールに厳しい昨今でも一時的になら有り得なくもないが、無関係な気がしない。そして、これが玄関の真正面だけなどと楽観的には思えない。
『ええ……しょうがない、色々考えてみるから一旦切るね。かけ直す』
「かけ直ししてもらっても繋がらないかも……なんかめっちゃ留守電入ってるし」
『……あー、そういう状況なのか。分かった、しばらくしたらもう一回かけて』
 それだけで伝わるものなのかとも思ったが、明日香には伝わるらしい。不自然さすら感じる理解力と対応力だけど、そんな事を疑問に思っている余裕もなかった。
「とはいえ、どうしよう」
 明日香がどうする気かは分からないが、どれくらい待てばいいのかも分からないし、すぐに電話しても意味はないだろう。
 とはいえ、ただ待っているだけというのは精神的によろしくないので、可能な範囲でカーテンの隙間などから外の様子を伺ってみた。塀などの遮蔽物が邪魔して一階からでは良く分からないが、二階からであればある程度は視認できる。
 被害妄想も入っている気はするものの、確認できた中で怪しいと感じたのは二台。ただ、スモークなどは張られていない普通の車だし、積極的に何かを調べている様子も見られない。
 良く考えれば、常識的に考えるなら私がここにいるはずはないのだ。名前は公開されているという話だったが、どうやって救出されたかなど伝わっているとは思えないし、銀タイツさんに山梨まで送ってもらった事を把握しているとも思えない。救出された事すら知らないかもしれない。おそらくは念の為に張っているか、この家を訪れるかもしれない関係者を狙ってると考えるのが正解な気がする。となるとここに明日香を呼ぶのはあんまり良くないと思う。
 むしろここに立て籠もっていても問題はなさそうだが、電気を点ければ一発でバレるし、何より何も進展しない。いくらか食べ物はあるけど、アメリカ行きに合わせて冷蔵庫もほとんど空だ。ここはむしろ早いウチに脱出して明日香の家に避難すべきではなかろうか。時間かけると外の人たちが増殖しそうだし、万が一失敗しても命までは取られないだろう。
 幸い裏手は車の入り込み辛い私道だから、勝手口からなら安全に離れられるだろう。後は地元の土地鑑を利用してこっそりと移動する。

 アクション映画のような脱出劇を想像していたが、意外にもあっさりと家から離れる事ができた。やはり包囲しているとかそういう状況ではなく、ただ念の為に張り込んでいる程度だったのだろう。これでまったく関係ないただの路駐なら恥ずかしいが多分違うし。
 幼少期からの経験を利用して、極力人に会わないルートを選別。人様の敷地にお邪魔するような、かなりアクロバティックなルートも使ったが、無事穴熊家の庭まで辿り着く事ができた。昔、英雄さんに聞いた抜け穴がまだ使えて良かった。
 この家まで張られているとは思えなかったから玄関へ向かっても良かったのだろうが、昔呼び出しに使っていたゴムボールが見つかったので、それを明日香の部屋の窓へ投擲する。
「ちょいっ!」
 こんな呼び出し方は久しぶりなので気付くか不安だったが、しばらくすると窓から明日香が顔を見せた。庭にいる私を見てギョッとしていたが、すぐに一階に降りてきて迎え入れてくれた。庭から繋がる居間から家に上がる。
「あすかぁーーーっ!」
 明日香の顔を見て、急に張り詰めていたものが切れたように脱力するのを感じた。脱力しなくても抱きついてはいたと思うけど。
「ま、まさか自力で来たの? 迎えに行く準備してたんだけど」
「だって、明日香が家に来るところ見られるのはまずいだろうし、時間経つほど脱出できなくなりそうだったし」
「いや、それはそうかもだけど……無事ならいいか」
 明日香の表情は困惑の色が強かったが、再度電話すると言っていたのに直接来たのだからそりゃびっくりするだろう。
 とりあえずという事で、明日香の部屋に移動。実はおばさんも在宅中で、数日ここに泊まる旨は了解済らしい。
「着替えとか……持ってきてないよね? 一応、前に泊まりにきた時に使ったパジャマとかならあるけど」
「それ結構前のだよね? 結構パンプアップしてると思うんだけど、入るかな?」
「パンプアップしとんのかい」
 最近ダイエットはしたけど、乳や尻は大絶賛成長中なのだ。背はそこまで伸びなかったけど。試してみたら、一応着れるが結構パツパツだ。
「一応中学時代のジャージもあるけど、どの道下着はないし……買ってくるにしてもしばらく我慢って事に」
「というか、着替えどころか、財布もスマホもねー。そこら辺もどうにかしないと」
「あーうん、手続きとかね。停止ならすぐできると思うから。スマホ自体は戻ってくるまでしばらくかかると思うけど」
「どこで落としたか分からないから、新しいの買ったほうがいいと思うんだけど」
「一応、拾ってくれた人は分かってるんだけど、アメリカだし」
 どうも、空港で落としたスマホを拾った人が親切にも履歴にあった明日香に連絡をとって保管しててくれているらしい。ただ、今はスマホ宛ての連絡とメールが殺到していて何もできない状態なので電源を落としているのだとか。明日香が直接番号交換しているので連絡自体は普通にできるらしいけど。
 私が誘拐された経緯などもそれで把握していたらしい。その後の展開についても、大雑把にならニュースやネットを通じて得られたとか。
「実は世界中のサイトにクリスの名前が書かれてる。こんな感じで」
「マジか……」
 明日香の見せてきたニュースサイトには私の名前が当たり前のように載っていた。日本のサイトだけでなく海外もだ。
 いきなり世界的有名人になってしまった。長谷川さんに言われてはいたけど、こうして実際に見せられると実感が伴ってくる。
 それからやるべき事をまとめて、可能な限り明日香に処理してもらう事になった。結構手間はかかったが、ウチの両親にも連絡はついた。
「何日かはここにいてもいいけど、その後は問題だよね。クリスの事調べたら私の事なんてすぐに分かるだろうし」
「うわ、確かにここにも来そう」
 関係がある時点で取材が来る事は避けようがないかもしれないが、本人を匿い続けるのはまずいだろう。その場合は明日香だけでなく他の友人宅も候補外になる。明らかに迷惑だ。
「というか、逃げ続けて解決する気がしない。かといって取材受けても余計に身動きとれなくなりそうだし……」
「一過性のものならほとぼり冷めるまで逃げるって手もあるけど……さすがに無理かな。スキャンダルとかじゃないし」
「何も悪い事してないんだけど」
「マスコミだと、有名税とか言い出しそう」
 最悪だ。そりゃ芸能人のニュースとかなら分からなくもないけど、こっちは一般人なのに。有名になりたくてなったわけでもない。
 とはいえ、何の考えもなしに取材の人たちの前に出ていく事は普通に怖いので、しばらくはお世話になる事にした。
 未成年なわけだし、最低でも親が戻ってくるまでは避難しておくべきだろうとはおばさんの意見だ。私にしても同感である。
 スマホなどの手続きや各所への連絡、着替えの用意なども含めて明日香に手間をかけさせてしまったが、ここは素直に甘えておく。甘えるのに慣れているからっていうわけではない……事もないが、私にできる事がないからだ。もっと言えばしていい事がない。
 友達に安否連絡をするくらいならともかく、下手に何かをするとそこから居場所がバレかねない。どれくらいなら大丈夫とか、そういう基準も分からないなら最初から手を出さないほうがいい。
「……ほー」
 何日目かの夜、布団の上でそんな事を話していたら、珍しく明日香が感心したような表情を見せた。バカにした様子ではなかったが、それについて深く突っ込んだ話もしなかったので、話題はそれで終わりだ。
 そんな事よりも、明日香に話したい事は山ほどある。非日常に満ちた塔からの逃走劇や、銀タイツさんとか、謎のロボットとか、吊られたおじさんとか、銀タイツさんとか、地球が青かったとか、銀タイツさんとバイクに乗った話とか……。
 私ばかりが話していたから、途中から明日香は苦笑していたけれど、口が止まらないくらい鮮烈な体験だったのだ。
 何日か続けていたら、胸焼けするからやめろと怒られたけど、同じような体験をすれば明日香だって似たような事になるだろうと思う。
 ……なるよね?

◆◇◆

「あー、そろそろまずいかも」
 そんな日が続き、そろそろ年末に差し掛かりそうな日の事だ。外から戻ってきた明日香が深刻そうな顔で言った。
 どうやら、とうとう記者らしき人に声を掛けられたらしい。それも、相手は隠しているようだったが、明らかに個人を狙い撃ちした聞き込みだったと。
 協力してくれそうな友人……クラスメイトの泉や青にお願いして、それとなくウチの周りを確認してもらったりもしたけど、日に日に怪しい人が増えているらしい。あまりに増えて路駐と合わせて色々問題になって近所の人が警察を呼んだりもしたらしいけど、それでも一向に減る気配はないのだとか。あんまりウチのご近所に迷惑かけんなや。というか、私にもかけんな。
「さすがにウチの中にまで踏み込んできたりはしないと思うけど」
 実を言うと、ウチの両親の帰国も遅れているらしい。時期的にチケットが取り難いのはあるけれど、こっちとはまた違った状況で動けないのだとか。普通に命の危険を感じるレベルらしい。
 記者の前に姿を出すのは論外として、こうなったらいっそ警察のお世話になるって手もアリかもしれない。多分、これだけ話が大きくなれば事情は伝わってるだろうし。私の場合はこの容姿だから話題に乗っかった自称美濃クリスだとも思わないだろう。ただ、そこでどういう扱いを受けるかは未知数だ。できれば何か保証は欲しい。
 ここ数日、ずっと頭を捻ってるけど、いい考えは浮かばない。大体同じところで思考がぐるぐると回っている。こういう時、私は自力でどうにかできた試しがない。もう少しすると暴走するのがいつものパターンだ。
「明日香のお兄さん……英雄さんなら何かいい考え思いついたりしないかな? 部屋にはいるよね?」
「はあっっ!? いきなり何言ってんの?」
 なんとなく思いつきを口にしてみたら、ものすごい勢いで明日香が反応した。まるで狂人を見るかのような目だ。これまでも割と見た事のある目だが、そのあたりは置いておいて。
「いや、こういう状況でもなんかいいアイデア持ってそうだし」
「いくらなんでも……いや、うーん、でもなぁ……そもそもアレ、部屋から出てこないし、話できないから無理!」
 まあ、それはそうだ。明日香もあんまり絡みたくないだろうし。なんとなく頭に浮かんでしまったから口に出してしまったが、名案が出てくる保証もない。
 とはいえ、こうなると割と手詰まり感がある。……一応、もう一つアテはあるのだけど、こんなすぐに頼りにしていいのだろうか。でも、本気で進退窮まってから連絡しても、それはそれで迷惑だろうし。
「ミナミさんちの了解はもらえたからクリスの避難場所を変えるのは決定事項として、東京への移動手段は考えないと。大晦日なのに、お父さんまだ時間取れそうにないし……」
 一応、場当たり的な対処ではあるが、避難場所を変えるという話は割と最初のほうからしていた。候補は一緒にプチ旅行に行ったミナミさんの家で、場所が離れているのに加えて関係性も辿り難いだろうと。ただ、まさかこの状況で呑気に電車に乗っていくわけにもいかない。明日香の家のおじさんはなんかめっちゃ忙しそうだし……。
 ……これはもうしょうがないかな。

「はい確かに、それじゃお預かり致します」
「あ、はい、よろしくお願いします」
「…………」
 その日の深夜、私は何故かダンボールに詰められて郵送される事になった。外は見えないが、持ち上げられて車に乗せられたっぽいのは分かる。声は長谷川さんだが、このままどこかに出荷されてしまいそうだ。
「あ、あのー」
「念の為ですが、県境を越えるくらいまではそのままでお願いします」
 動き始めたらしい車の中でダンボールの中から声を出すと、前のほうからそんな声がした。
「…………」
「いや、そこから出なければ喋るのはいいですよ」
「あ、はい」
 なんでこんな事になったのか。そこまで必要かどうかは分からないが、入れそうなダンボールがあったので、郵送物に偽装しようという話になってしまったのが発端だ。気がついたら明日香とおばさんに箱詰めされて台車に載せられていたのだ。解せぬ。
「あの、すいません。いきなりこんな事になっちゃって」
「いえいえ、これくらいはお安い御用です。どの道この後の事も相談しようと思ってたところなんで」
「この後?」
「そこら辺はもうちょっと走ってからにしましょう」
 相談しようと思っていたのは確かだけど、まさか向こうから何か提案があるのだろうか。
「というかですね、今回の件はこちらの落ち度もありました。ちょっとマスコミってやつを甘く見てました」
「長谷川さん的にも想定外だったと?」
「私もですが、マスカレイドさん的にもそうらしいですよ。さすがにマスコミがあれほど早く大規模に動くとは思ってなかったみたいで。集団心理もあるんでしょうが、アレ、人一人くらいのプライベートなんて粉微塵にする勢いですし」
 マジか……。私が目にしたのは数人程度だったけど、そんな事になってるのか。
「実を言うと、ご自宅に送り届けた後に再度回収に向かってたんですが、ご自分で逃げられたようだったので様子見してたわけです」
「…………」
 という事は、しばらくあそこで待ってたら助けてもらえてた? 塔の時とおんなじじゃない。
「これが命の危険があるとか、再度誘拐されたりする可能性があるようでしたら別ですが、マスコミも未だ本命はアメリカのほうらしいので、すぐにどうこうという話にはなりそうもない。というわけで、保護は保留して色々と準備してたわけです」
「……えーと、準備とは?」
「主にマスコミ対策と避難所の確保ですね。ご自分で確保されたようですが、ある程度期間が経ったら移動しましょう。最初からそっちに行ってもいいですが、お友達がいたほうがストレスも少ないでしょうし」
 なんか、話せば話すほど深刻な状態だってのが浮き彫りになってくるような。
「ちなみに、警察とかに保護してもらうっていう線はアリですかね?」
「ナシじゃないですが、どうでしょうね。私も常時監視されてる身なんですが……未だ向こうから接触してくる気配がないんですよね。あなたの事も把握はしてると思いますが、現時点で積極的に干渉してこないって事は、あちらも望んでないって事かもしれない」
 ……何言ってんだろ、この人。いや、ヒーロー関係者って事はそういう事もあるんだろうか。
「ちなみに、今は監視外なのであなたの移動先がバレる事はないかと思います。江戸川区の伊ヶ谷さんでしたよね?」
「あ、はい」
 本当はその隣の南さんちなのだが、念の為って事でそれっぽいほうでお願いしたのだ。この分だと向こうも気付いてそうだけど。
 阿古には連絡していないので、実際にはそのままお隣にお邪魔する予定だ。距離が離れていても、阿古は少し関係が近過ぎると。あと、口が軽い。

 しばらくして県境を抜けたのか、ダンボールから出てもいいと言われたので車内を移動する事にする。
「一応、後部座席に座って下さい。窓にカーテンがあるので」
「あ、はい」
 帰ってくる時と同じように助手席に乗り込もうとした私を長谷川さんが止める。この車は窓にスモークを張っているわけでもないのだから当然といえば当然だ。
「……あの、なんで配達員の格好なんですか」
「こっちのほうが自然かなと。まさか、ダンボールに詰まって渡されるとは思いませんでしたが」
 長谷川さんは前回のスーツ姿ではなく、何故か運送業者の格好をしていた。本物かどうかは分からないが、私も見た事ある業者のものだ。ものすごく深刻な話をしていたのに、その姿を見たら少し気が抜けた。
「あの……さっきマスコミ対策がどうとか言ってましたけど、コレって根本的に解決するものなんでしょうか?」
「……困った話ですが、私にはちょっと解決方法は思い浮かびません。マスコミ対策も私がやっているわけではなくヒーローの力を借りているような有様なんで」
「そう……ですか」
 どうなんだろうか。ヒーローというのがマスカレイドさんを指しているのかは分からないけど、それでいいのかって気はする。
「本来は人類の事は人類でなんとかすべきって思うんですがね。彼らがやっている事は、ヒーローが頑張って助け出した被害者を社会的に抹消しかねない行為ですよ」
「……ですよね」
 マスコミはそういうものという見方もできる。大衆が求めている情報でもあるのだろう。ただ、その行動の影響は深く考えていないようにしか見えない。それとも、分かっていて無視しているのだろうか。報道の建前があれば、ある程度の無法は許されると。
 ……それがヒーロー相手でも?
「私としては、この醜態を見て愛想を尽かされないか不安でしょうがない。正に私が恐れていた事が目の前で起きている」
「ヒーローに見捨てられないかって話ですか?」
「はい。一歩間違えば奈落へ真っ逆さまな綱渡りに全力疾走してるようにしか見えない。しかも、我々もロープで繋がれていて引き摺られている状態で」
「む、無関係なのに巻き込まれる?」
「無関係っていうのはどうですかね? いや、あなたが被害者とかそういう意味ではなく、人類って括りで見られているって意味で。もう少し楽観的に見たら日本人?」
 カテゴリが大き過ぎる。でも、確かにそういうものしれない。自分から遠い世界の出来事ほど、ピントは離れてしまうものだ。
 その理屈でいうなら、ヒーローから見ればどれも同じ人類って見方をされていてもおかしくはない。
「せめて日本人で括りたいっていうのは私の願望も多分に含まれてるんですけどね。海外の状況を見てると目を逸らしたくなる」
「か、海外はもっとひどいんですか?」
「実はあなただけでなく、他の被害者はもっと露骨な事になっているらしいんですよね。誘拐された地点に転送されるから捕捉され易いという問題もありますし」
 この数日で少しずつ近付いてきていた不安が、鮮明な輪郭を伴って迫ってくるのを感じる。
 これまで過ごしてきた日常がどれほど脆く、不安定なものであったのかを突きつけられているかのように。
「ひょっとして、私だけ転送されなかったのはラッキーだった?」
「詳細は聞いてませんが、一長一短でしょう。そのせいで救助されなかったかもという問題は無視するにしても、他の救助者とは別格で目立ってるというデメリットは無視できません」
 あ、そうか。名前が残ってるんだっけ。
「問題の性質上、直接的に命の危険に晒される事はない。状況を理解してて、マスコミを牽制しようとする人もいるでしょう。しかし、沈静化する類のものでもない。怪人の魔の手からヒーローによって救い出されたヒロインなんて題材を見逃すはずがない」
「ひ、ヒロインとか言われても……」
「あなたがそういうのに興味があるなら、こちらも良かったですねで済ませられるんですが」
「いえ、全然興味ないです!」
「……ですよねえ。この状況でチャンスだからアイドルになりたいとか、どんな度胸の持ち主だって話ですし」
 そういう世界に憧れが一切ないといえば嘘になる。向いてないとは思っても、漠然とした視線で妄想した事くらいはある。だけど、ここまで醜悪な輪郭が浮き彫りになって尚飛び込む事はできない。ハイエナかピラニアか、とにかく群がられて骨も残らないと想像できてしまう。
「とりあえず、しばらくお友達の家にお世話になって、折を見てこちらが用意した避難先に移動、時間を稼ぎつつ解決方法を模索って感じですかね。いつでも移動できる準備は整えておきますので、連絡を下さい」
「あの……冬休みって短いんですが」
「はっはっは」
 その笑いは、三学期が始まるまでに元の生活に戻るとかナイスジョークって感じのものなんだろうか。明らかに戻れるわけないですもんね、分かります。……はあ。

◆◇◆

 時間が経つごとに会話も少なくなり、そのまま車に揺られる事数時間。多分、最短距離ではない道を移動しているのだろうと思わせる時間をかけて、目的地へと到着した。事前に連絡を入れたので、阿古の引っ越し先と思われる家の前で待っていたミナミさんが確認できた。
 少し離れたところで降ろしてもらって、長谷川さんにお礼を言って別れる。深夜の住宅街には人影もなく、さすがに明かりが灯った家も見当たらなかった。不安にはなるが、さすがにマスコミもこんなところにはいないだろう。
「ど、どうも、ミナミさん」
「久しぶり」
 久しぶりに会ったミナミさんは迷惑そうな顔も見せず、驚くほどの自然体で迎えてくれた。逆に感動の再会といった感じでもなく、超フラットだ。
 その後、堂々と新しい阿古の家らしき家の中を通り、庭を抜けてミナミさんの家の敷地まで抜ける。まさか繋がってるのかと思ったが、単に裏口が近いそうだ。真夜中だから家の全容は良く分からないけど、それでも大きい事は良く分かる家だった。
「突然、ごめんなさい」
「いいよ、いいよ。ある程度状況は聞いてるし、一人の年越しも寂しかったし」
「あれ、ミナミさんち一人だったの?」
「年末年始は大体祖父母の家で過ごすんだよ。私は面倒だからパスして残ってるんだ。祖母にはあんまり好かれてないみたいだし」
 良く分からないけど、古い家の慣習っぽい何かだろうか。私としては気楽でいいけど。
「客間は用意してあるから。和室に布団だけど大丈夫?」
「それは大丈夫だけど、どうせならミナミさんの部屋で女子会的な……」
「みんなそういうの好きだね。別にいいけど、私の部屋ってあんまり評判良くないんだよな」
「散らかってるとか?」
「モノは多いけど、ちゃんと片付けてるよ」
 じゃあなんで評判悪いんだろうと思ったが、見てみれば分かると案内されてミナミさんの自室へ。
 ……怖いくらいファンシーな部屋が待ち受けていた。
「あ、うん、すごく似合ってると思う」
「可愛いと思うんだけどね。みんなあまり来たがらないんだ」
 そりゃ理由は簡単である。ミナミさんには似合うかもしれないが、普通の子が過ごすには場違いと感じるからだろう。あんまり居心地は良くない。
 とはいえ、自分から言った事を取り下げるのはアレだし、別に可愛いモノが嫌いなわけでもないので、今日のところはここでお邪魔する事にした。色々話をして寝る分には問題などあるはずもないと。
「うーん、いまいち合わないな。じゃあ、こっちとかどうかな?」
「あの……とりあえず、着れればいいから」
「えー」
 しかし、何故かファッションショーが始まってしまった。パジャマの代わりになるような服を借りるだけのはずが、なぜか余所行きの服……それも街中ではそうそう見る事のないフリフリの服である。
「買ったはいいけど、普段使いに合わな過ぎて持て余してるんだ」
「それは人を着せ替え人形にする理由にはならないと思う。……まあ、いいけど」
 実際そんな嫌な感じはしない。コスプレめいているが、可愛いのも確かだ。案外ミナミさんも気を紛れさせようとしているのかもしない。
「いいね、いいね。金髪だと、私には似合わないアクセとかも幅が……」
 ……気を使っているという事にしよう。
 ド深夜に始まったファッションショーはそのまま朝になるまで続いた。そこから昼過ぎまで寝るという美容に悪そうなスケジュールである。
 その後、状況確認として色々話したり、到着連絡を忘れてて電話で明日香に怒られたりして、あっという間に大晦日がやってきた。

 二人きりでかなり早めの年越しそばを食べる。具材は用意してあったので、料理といってもそばを茹でたくらいだけど。
 それでさえ、料理に慣れていない私の手付きはたどたどしい。記憶に残る明日香の手慣れた感じと比較すると、本当に真似事だ。私よりはマシでも、ミナミさんもせいぜい年相応といったところだろう。だからこそ、ここまで下準備した状態で用意してあるのだろうけど。
「ミナミさん料理できそうなのに」
「一応、人並みにはできるつもりなんだけど。君の基準が高いだけだと思うよ」
「あーそうかも。基準が明日香になってた」
 多分、おかしいのは明日香のほうだろう。なんてったって、私たちは普段家事とかしない高校生なんだし。
「そういえば、学校のほうはどうするつもり? この流れだと順当にいっても休学って形になりそうだけど」
「まだ連絡してないけど……やっぱりそうなるかな」
「放っておけば鎮火する類の問題じゃないしね。学校側でも対処できる規模を超えてると思う」
 直近の状況までは分からないけど、明日香の家にいた時に、高校にも取材依頼がかなりきているらしいという話は聞いている。長期休暇中なので誤魔化せてはいるらしいけど、担任を通して私の連絡先を求める電話もあったらしい。
「うー、せっかく頑張って受かったのに……」
 思い起こすのは勉強漬けだった中学最後の年の記憶。実際に受験するまで明日香すら合格を信じてなかったけど、それでもちゃんと受かったのだ。なのに、なんでこんな事になっているのか。
「高校中退か……色々しんどいなぁ」
「気にするなら高卒認定試験でもなんでも受ければいいと思うけど」
 ……どうしよう。受かる気がしない。
「それ以前に、これから先学歴に意味があるのかって気はするけどね。分野のトップとか、そういう特別なものは別にして。私も進学するかは悩んでるし」
「ミナミさん的には中退してもアリだと思う?」
「君の場合は不可避だと思うけど。……問題はその後何するかだと思う」
「就職って事?」
「就職に限らないけど、一年後に世間がどうなってるか予想できないからね。開き直ってニートでもやるとか」
「明日香のお兄さんじゃないんだから」
 でも、実際どうだろうか。ずっとっていうのはナシにしても、様子見っていう選択肢はナシとはいえない。今の状況でバイトなどできるはずもないし。ただ、私の場合、本当に何もしないとそのままズルズルと本物のニートになりそうっていうのはある。
 長谷川さんに頼めば、このあたりの問題もなんとかしてくれるだろうか。わざわざ避難先を用意してくれるくらいだし。
「知名度を上手く利用してのし上がってやるって気概があるなら、今の状況はむしろチャンスなんだけど」
「さすがに無理~」
 何をどうすれば上手く使えるのかも想像つかない。
「お金を稼ぐだけなら、単に高額な報酬をふっかけて取材を受ければいい。今の君ならどれだけ出しても取材したいってところはいるだろうし。海外まで含めると、それこそ額が跳ね上がりそうだ。色々問題とか無視した案だけど」
「うわー……」
 考えもしなかったけど、確かにできそうではある。……というか、ウチの周りにいた人たちとか多分取材料とか出す気なかったよね?
 一億出すなら取材受けますって宣言すればいなくなるんじゃ……いやダメだ、そんなの無視するに決まってるし、下手したら払う人が出てきかねないのが今の私なのだ。

 ミナミさんの言葉で気付かされたが、選択肢自体はたくさんあるように見える。そのほとんどは私に選べそうにない、選びたくないものではあるけれど、存在はしている。それらはあまりに重要な選択肢で、日常にありふれた選択のように気軽に決めるわけにはいかない。ある意味、進学や就職や結婚以上に今後の人生を丸ごと決めてしまうようなものだから。

 流される。流されていく。これまでの穏やかな日々が幻だったかのように、理不尽の濁流に飲み込まれていく。
 ミナミさんの家で過ごす時間はあっという間に過ぎ、冬休みが終わるのを待たずして長谷川さんの用意した避難所に移動する事になった。
 結局、両親も自力でアメリカ脱出は叶わず、保護を手伝ってもらう形になってしまった。どうやったのかは良く分からないけど。
 避難所とは良くいったもので、詳細を聞いてみれば確かに誰にも見つかるはずのない場所だった。生活についても特に問題はない。新しい環境に慣れるまでに時間はかかりそうだけど、対価を要求される事もないのだ。取材攻勢に辟易してノイローゼになりかけていた両親ほどではないけど、人がいないのもマイナス要素とは言い難い。むしろ今は静かなほうがありがたい。

 しばらくして、学校には休学願を提出する事になった。仕方ない事ではあるけれど、私が行くと学校の維持が困難になるとまで言われれば諦めるしかない。ひどい話だが、多分学校側の対応はこれでも誠実なのだ。
 周囲が騒がしくなっている原因が、私が表に出て取材を受けないからという意見をネット上で見た。それはマスコミ側に立った勝手な言い分で、どうせ一度取材を受ければそれだけで終わるはずがないのは目に見えているのだ。
 だから、長谷川さんの紹介で一件だけ雑誌の取材を受ける事にした。一切お前らの取材を受ける気はないという意思を明確に込めて。
 背景にヒーローがいる事を匂わせた事で、現実・ネットを問わず有識者とやらが口にしていた表へ出てこいという意見は一時的に沈静化した。しばらく実害がなければ、元のように知る権利という言葉で自らを正当化し始めたものの、そんなマスコミの態度は強烈な批判を呼んだ。海外ではマスコミが原因で、救出された被害者から死者が出るほどの事件が発生していた事も大きい。
 なるほど、これが世論を味方につけるという事か。おそらく潜在的な味方は以前から存在したのだろう。ただ、一部の大きな声にかき消されて見えなかっただけなのだ。それを、あの取材……雑誌の記事が呼び水となり、マスコミの失態と世論の逆転を呼んだのだ。
 ますます注目は集まる事になったが、以前感じていた重苦しいだけの空気だけではなく、同情的な意見も多く見られるようになった。そのどちらもいらないから元の生活に戻してほしいのだが、それが叶わない事は分かってしまう。
 ……なんせ、美濃クリスは今や時の人だ。国内外問わず、強烈な知名度を得てしまった。

 一件とはいえ雑誌に出ても、避難所暮らしが数ヶ月経っても、世間の私への興味は止む事がない。擁護する声も非難の声も煩わしいまま。
 社会から隔離された避難所なら、情報を完全にシャットアウトする事もできる。……できるが、そうすると本格的に世捨て人だ。今の私は取捨選択して情報を得る事は難しく、どこに美濃クリスという名前が転がっているのか分からないのである。
 両親も避難所での仕事を紹介してもらい、馴染んできた生活がたとえようのない不安を駆り立てる。
 いくら快適でも、このままここで過ごすだけの日々に満足するのか。それはそれでいいかもしれないと思う私もいる。けれど、けれどとも思うのだ。このまま、ただの被害者でいいのかと。
 あの日、ヒーローに見捨てられないように恥ずかしくない自分になろうと誓った私はそこにいるのかと。

 流される。流されていく。抗いようもない日々に、私らしい暴走すらする間もなく。本当にそれでいいのかと自問自答を繰り返しながら。
「そんなはずない」
 一方的に理不尽を押し付けられたままなのはムカつく。なにより、こんなのは私らしくない。もっと空気を読まず、蝶を追いかけてフラフラと暴走するのが美濃クリスだろう。
 私だけではない。国民すべてが蝶を追い求めてフラフラしているのだから、社会すべてが暴走しているようなものだ。だから、私らしくそれに乗っかってやろうと思う。それが、この数ヶ月の避難生活で得た回答だった。

◆◇◆

「なーんて、ちょっと上手い表現だと思わない? マスカレイドさんの蝶マスクと掛けた感じが」
「解説がなければそれなり?」
「明日香が厳しい」
 私と私の周囲の日常は粉々に破壊された。唐突に理不尽に。怪人の手によって奇跡的な偶然で、人の悪癖によって意図的に。
 それを許す気はない。それによって手に入れたモノもあると言う人もいるだろうけど、それはただの結果論だ。
 古い日常にこびりついた悪癖は私の敵だ。新しい日常で生きる私はそれと相容れない。もちろん怪人も敵だけど、そこは私の戦場じゃない。
「こんな感じかな。……どう?」
「うん、いい感じ。明日香、こういうの上手くなったよね」
 明日香の手によって自分に施されたメイクを鏡で確認する。ある意味、今の私は明日香の作品だ。
「専属付けて勉強したしね。技術だけならプロのほうがいいだろうけど、クリスは私のほうがいいでしょ?」
「そりゃもちろん」
 私は昔から明日香っ子なのだ。色々世話焼いてもらえる理由ができたのなら、胸を張って世話焼いてもらう。
 この関係は私に残された一番身近で数少ない日常だから、絶対に手放すわけにいかない。

 この仕事をやるか問いかけられた時、何かしらの形で行動しようと決心していた私は当然の如く即答した。
 表社会から存在を消し、目立たぬように埋もれて生きる道もあった。この激動の世界にあって、本来なら望むべくもない平穏な人生は提示されていた。
 それに甘えた部分は多い。両親には仕事を用意してもらって隠れ住んでもらったし、ここに至るまでのほとんどがお膳立てされたものだからだ。あの日、アメリカの空港で誘拐されてからの私は常にヒーローの庇護下にあったようなものなのだ。
 だけど、少し先の未来に生きる私はそれを許容しない。お膳立てされた立場でも、自分の意思と自分の脚で戦う事を選んだのだ。

「それじゃ行こうか」
「私は袖までだけどね。……やけに落ち着いてるね、クリス」
「今日のお披露目以前にも色々やってたしね。実際は緊張が振り切れてるだけだと思うけど」
 違う。本当はすごく落ち着いている。私が失敗してもきっと銀色の蝶がどうにでもしてくれるという安心感があるから。
 他力本願上等。こちとらド素人あがりなのだ。全力で頼らせてもらいます。
「さて、じゃー圧倒的暴力を盾に、まだ旧時代から抜け出せない連中と喧嘩しにいくぞー!」
「口が悪い。……まあ、私も本音はそんなところだけどね。取り繕う努力はしなさい」

 これは暴走なのか。多分、そうなのだろう。だけど、私が望んだものだ。
 どうせ世界中が暴走しているのだから、私は思うままに暴走してしまおう。それが私、美濃クリスの新しい道なのだ。

2023年1月15日

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