その無限の先へ 第1巻 ポストカード用短編「揺らぐ日本像」

迷宮都市の住人、特に都市中枢に近い者にとって『日本』、あるいは『日本人』という言葉は特別な意味を持つ。
公用語は日本語で通貨は円、食事や娯楽などの文化は色濃く影響を受けており、文化侵食どころか文化破壊と言ってもいいほどだ。もっとも、王国由来の文化に価値を感じている者など専門の学者程度だろうが。
そんな迷宮都市にあって、冒険者の所属する迷宮ギルドは特別日本の影響を濃く受けているといえる。
理由としては簡単だ。ギルド職員の幹部職員の創造主がダンジョンマスター、つまり日本人であるからである。自らのルーツと言ってもいい文化に興味を持つのは何もおかしくはないだろう。
幹部職員の一人である通称受付嬢さんについてもそれは同様だ。日本に対して深い好奇心と依存、そして懸念を持ち、日々の業務をこなしている。

特に迷宮ギルド職員に強く見られる傾向として、日本を特別視過ぎるきらいがあると言われている。
いや、元々の文明差が激しい以上、正当に評価した上で特別視するのは仕方ない部分はあるのだが、それにしてもだ。ほとんど刷り込みのような状態であるとは自身でも思う。
それは単純な友好ではない。崇拝に近いモノはあるが、厳密には違う。おそらく、一番強い感情は畏怖だ。ダンジョンマスターがあまりに特別であるが故に、それを生んだ基盤に特別な感情を持たずにいられない。
そのダンジョンマスターはいつも自分が普通の人間であったという。冷静に考えて、生まれ育った場所だけでそこまで特別な存在になるはずもない。もちろん人間としての基盤に多大な影響を与えるだろうが、みんながみんなダンジョンマスターのような特別であるはずはないのだ。
今更、ダンジョンマスターがどう過ごしていたなどの情報など知る事はできない以上、真実など分かるはずもない。だから、憶測が絡むのは仕方ないが、それが言葉通りの意味であるなら尚更怖いだろう。
日本の何が特別なのか。あるいは何も特別でないのか。実態を知るために資料を漁った者は多く、今ではそれを専門とする者もいるが、答えが分かるはずもない。
日本の歴史や文化、風土を調べてみても、この世界の文明に対し洗練されているし、独自色は強いとは思っても、そこまで掛け離れたモノではない……はずだ。受付嬢さんはそう考えている。
だから、たとえダンジョンマスターと同じ日本人であろうと、最初から色眼鏡で見てはいけない。多少の融通はしても、あまりに重い期待は重圧となり、潰してしまう事になりかねないと。しかもそれが転生者、日本の記憶を持つというだけの者相手では尚更である。そう自戒しつつ、迷宮ギルドの黎明期を過ごしてきた。

その自戒が揺らいだのは、ダンジョンマスターと同時期に生きたという転生者が現れてから。遥か過去の日本に生きたという者がそれなりに優秀でも決して特別とはいえない存在だったためにインパクトが強かったというのもある。
もちろん、ダンジョンマスターとは似ても似つかぬ人格であり才能だ。しかし、明らかにおかしな存在である事は確かだった。彼女が冒険者として頭角を現すには多少の時間を要するだろうが、それ以外の部分ですでに特別である。
そして続いて現れてしまったコレは、日本って本当にギルド職員が適当に妄想しているような特別なんじゃないかと言われても仕方ない存在だったのだ。
ウォー・アームズのグワルがトライアル四層のボス役を担当すると言い出した時、また古参特有の日本人に対する過剰な期待が出てしまったかと呆れたものだが、その結果はまさかのコレである。

「……これはどう判断したものか」

彼女の手元にあるのは冒険者のパーソナルデータ。つい昨日迷宮都市にやって来て迷宮ギルドに登録した新人二人のものである。
そう、定義の上では確かに新人なのだ。なのに、彼ら二人はすでに……たった一日で冒険者デビューの資格を得てしまった。一般的にはデビューしても最下級ランクの冒険者はルーキーと呼ばれたりもするが、この分ではそこも一足飛びになるだろう。前人未到の初見クリア。あまりに達成する見込みがなく忘れ去られていた隠しステージまで攻略してしまうという異常さ。隠しステージを達成したのは一人だけとはいっても、その前の初見トライアルクリアの時点ですでに異常である。
受付嬢さんとしても記憶の片隅にしかなく、わざわざ古い資料を漁って確認し、隠しステージの内容に絶句したほどだ。トライアルダンジョンの設立時期的に誰が作ったモノかは想像が付くものの、本当に達成可能なモノだと考えていたのだろうか。
そんな新人がいてたまるかとは思うが、事実こうして達成してしまったのだから目を逸しても仕方ない。
眉唾ものと思い込もうとしていた日本への認識が再び揺らいでいるのを感じる。

「いくらなんでも、ただ日本人というだけで何かがあるはずはないんですが」

もし、ダンジョンマスターに聞いたら『ねーよwww』と笑われるような妄想だ。というか、何度も繰り返された質問である。当事者が判断できるかの問題はあるが、自分もそんなはずはないと同意したい。
……そんなはずはないと思うのだが、自分の中の刷り込まれた部分が期待してしまう。そんな期待は、普通なら悪影響しかないのに。
迷宮都市で冒険者というだけでもある意味特別ではあるのだ。その時点で期待は大きく、重圧に耐えられない者が多くいる。ただでさえそんな扱いなのに、更に過剰な期待をかけるのか?
ギルド職員の大半……特に幹部連中に期待するなというのは不可能に近い。だから、せめて現場に近い部分では普通の対応をしてあげよう。……してあげないといけない。

「……まあ、本当に必要かっていうと疑問ですがね」

どの道買取りする必要があるだろうと、事前確認したトライアルダンジョンの攻略動画を見ると、案外本当に特別なのかもしれないと思ってしまう。特に第四層以降は普通なところのほうが少ない有様だ。
少なくとも彼らは特別なのだろう。ダンジョンマスターも当然特別で、あの子も特別。……基準が揺らぎそうな特別の割合でも、そこから思考が飛躍するのは問題だ。なんだってこんな事になるのか。
万が一、万が一だが、日本に住んでいる人がみんなこんな感じだったらどうしようか。そんな願望か妄想か良く分からない思考がよぎる。
調書で言っていた、日本では普通でしたという回答も、病弱でまともな人生とは言い難かったという回答も、周りがみんなおかしいから埋もれていただけとか。いやいや、まさかそんな。どんな魔境だというのか。

「とりあえず、この二人についてはしばらく様子見が必要ですね。変な期待に負けないようサポートしてあげないと」

受付嬢さんの結論は変わらない。それが、ギルド職員として在るべき姿を体現するという事なのだと規範にならねばならない。
ついでに、手綱をつけないと暴走しがちなあの子も目を離したりしないように。

そんな二人の異常性について、トライアル初見クリアなどただの入り口でしかないと彼女が思い知る事になるのはもう少し先の話である。
生まれ育った国かとか記憶がとか、そんな事がどうでも良くなるくらい特別というのが正解であり、この時点でその回答を出すのは無理があるのだが。

「というか、遅いですね。昨日の今日なら、さすがに顔を出さないはずはないと思うんですが」

動画の買取り、デビューに向けてと、色々手続きが必要なので準備して待っているのだが、まったく顔を出す気配がない。約束したわけではないけれど、それ以外の行動をとる理由は思いつかない。
まさか、二人とも爆睡している最中だとは受付嬢さんも思わない。色んな意味で規格外な二人だった。

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