引き籠もりヒーロー第3巻 校正用幕間

◇◆◇幕間「引き籠もり、異世界に行く」

[ 魔王城 玉座の間 ] 「ふはははっ!! 他愛もないな勇者よ。その程度の力で、この魔王を屠れると思っていたのか!」
「くっ……」

 眼前の圧倒的巨悪に対し、為す術もなく膝を付く。辛うじて体を支えている聖剣は半ばほどから折れ、体力も魔力も底を付きかけていた。
 最後の仲間である王女はすでに力尽き、地に伏したまま。ここに来るまでに四天王の足止めとして残った仲間たちも、辿り着く気配はない。

 三度。三度だ。三度トドメを刺したというのに、魔王はその度にその体を異形化させて蘇ってきた。
 こちらは死力を尽くして戦ったというのに、一体どれほど余力を残していたというのか。目の前で佇む怪物と化した魔王でさえ、真の姿とは言い切れない。
 どうすればいい。このままでは世界は闇に包まれたままだ。世界連合軍が魔王軍に対し優勢を保っているのも一時的なもの。勇者という旗頭がいるからに過ぎない。ここで倒れれば、あっという間に世界は魔王の手に落ちるだろう。
 しかし、手がない。もう、抗う術は残されていない。魔王が近付いて来ないのも、未だ何か奥の手を持っているのではないかと疑っているからに過ぎないはずだ。こちらはすでになんの力もないというのに。

 十五年前、世界は闇に包まれた。
 突如復活した魔王はあっという間に近隣の国を飲み込み、人間や人間に友好的な種族は支配下に置かれた。
 瘴気に塗れた土地は死に絶え、海は淀み、太陽という言葉はただの歴史上の概念と化した。
 それからたった五年で人間の数は半分にまで減少したらしい。危機的状況にあって尚団結できなかった人間は、魔王軍に各個撃破されていったという。
 魔王軍に寝返る国もあった。我が国の国王はその人間同士の戦いで敗れ、命を落とした。その後に待っていたのは王位継承権を持つ者同士の内乱だ。世界が終わりを迎えようとしている時にさえ、人間は手を取り合えなかった。

 そんな状況が変わったのは五年前。王家の中で異民族の庶子として蔑まれていた末の王子が戴冠した事によってだった。
 強烈なカリスマで国を纏め上げた新王は魔王軍の最前線基地である要塞を攻略。その功績を以て、近隣諸国との軍事同盟を促す。魔王軍は決して無敵ではなく、人間が団結すれば討滅しえるものであると。
 事実、そこから数年間戦線は停滞を迎える。団結し、結成された世界連合軍は魔王軍を圧倒した。
 しかし、限界が訪れる。魔王の瘴気によって国力が極端に低下した人間の国々に余力は残されていなかったのだ。
 勇者を祭り上げたのも苦肉の策によるものでしかない。勇者と呼ばれていても、内実はただの人間。辺境で隠れるように存在した村の少年に過ぎないのだ。
 そんな苦肉の策は、予想を裏切る形で結実した。
 王の推薦という後ろ盾しかなかった勇者が魔王軍の幹部を撃退。更には地底からの侵攻を狙っていた移動要塞の存在を看破し、その無力化に成功。わずか数人の仲間と共に浮遊城へと乗り込み、四天王の一角を討伐。妖精によって鍛え上げられた剣は聖剣と呼ばれるようになり、名実ともに勇者として認められていく。
 そして、乾坤一擲の作戦が始まる。世界連合軍による陽動と足止めを行い、勇者と各国の精鋭六人が突入、魔王を仕留めるというものだ。
 大枠だけみれば単純だが、慎重に、かつてない速度で進められたこの作戦に対し、魔王軍の対応は遅れに遅れた。
 勇者たちは魔王城へ侵入を成功させる。犠牲を出しつつも、魔王城に控えていた四天王を足止めし、近衛隊長を倒し、勇者と王女の二人は魔王の玉座へと足を踏み入れた。
 あとは魔王を倒すだけだ。それだけで平和が戻る事はないだろうが、魔王軍に決定的な打撃を与える事ができるだろう。
 だが、その結果がこれだった。勇者は魔王を苦しめはしたが、トドメに至らず、今正に返り討ちにあおうとしている。

「くくくっ!! どうやらもう手はないようだな。散々手こずらせてくれた礼として、直接止めを刺してくれようぞ」
 終わり。……ここで、こんな結末が終わりなのか。いや、まだだ。まだやれる事は……。
「舐めるなよ、魔王。僕が……僕が死んでも代わりはいる!」
「ふん、貴様のような者がそうそういてたまるか。……だが、そうだな。ここからはより慎重に、念入りに人間の力を削いでいくとしよう」
「く……」
 ハッタリだった。しかし、この言葉に意味がないなんて事はないはずだ。魔王が警戒し、少しでも進軍が遅れるというのなら……稼いだわずかな時間にだって意味はあるはずだ。
「貴様の存在が奇跡なのだ。それは認めざるを得ない。しかし、そう何度も奇跡は起きんよ」
「起きるさ。何度だって……僕以外の誰かが、後に続く勇者が必ず現れる!!」
 最早、ただの遺言。魔王に叩きつけられるそれは希望という名の呪い。勇者という力を言葉で体現し、叩きつけるだけのもの。勇者は未来に希望を託し、力尽きる。その場にいるすべての者がそれを疑っていなかった。

 その時……奇跡が起きた。
「ふははははっ!! 面白い。では、その奇跡ごと我が握り潰してくれよ……うげえらぶぁっ!!」
 異形の手の一つにより、高らかに掲げられた魔王の錫杖。それが振るわれる寸前の事だった。突如、なんの脈絡もなく謎の存在が乱入した。
 その姿は銀。眩く光り輝く銀の閃光。銀色のスーツを身にまとう長身の男が、同じく銀の何かに乗って魔王に突進。鋭利な回転する何かで魔王をバラバラにしたのだっ!!
「……え?」
 何が起きたのだろうか。眼の前で起きた事が理解できなかった。
 乱入して来たのはおそらく人間だろう。変な仮面を着けて、全身銀色という妙な出で立ちだが、多分人間だ。
 魔王は……すでに事切れている……というか、バラバラだ。三度蘇って来た怪物とはいえ、ここからの復活はないと断言できるほどにバラバラである。
「よし、正義は勝つ!! というわけで、終了!」
 ……彼は正義なのだろうか。自分で言ってるんだから正義なんだろうな。
「え、間違い? 何言ってんだ。ちゃんとぶっ殺したから。え?」
 何やら空中に向かって話しかけているが、アレはきっと神との交信なのだろう。彼は神が遣わした使徒か何かなのだ。きっと。
「大丈夫だって、ほら、現地の人いるから聞いてみればいいだろ……おーい、すいません」
「あ、はははは、はい」
 視界に入っていないかと思ったのだが、話しかけられた。まさか、殺されたりはしないだろうけど。
「かみさまから魔王ぶっ殺して来てくれって頼まれたんだけど、魔王ってアレでいいんだよな? まさか、あんたの親とかじゃないよね」
「……あ、はい。アレが魔王です」
「ほらな。なんか既に何回か変身してた感じだったけど、見るからに魔王って感じだったし……あ、でも一応念入りにトドメ刺しとくか。うりゃ」
 やはり神が遣わしたらしい使徒様は、銀色の何かでバラバラになった魔王の死骸を何度か轢き潰している。
 さすがにもう死んでると思うが、もし復活の手立てがあってもここから蘇ってくるのは不可能だと断言できるほどにぐちゃぐちゃだ。これ以上となると、もう塵にするしかないだろう。
「じゃ、俺帰るんで、後始末は宜しく」
「あ、はい」
「……まったく、引き籠もりにこんな面倒な仕事押し付けるんじゃねーよ……え、マジで? 次も強襲でいいかな?」
 使徒様は何か呟きながら、現れた時と同じく唐突に消えていった。

「…………」
 奇跡だ。間違いなく奇跡なんだけど、なんだろう、このやるせない気持ちは。というか、帰りの事を考えてなかった。王都に戻って魔王が滅びた事を伝えないと……。
 どうやって帰ろうかと思案していると、倒れていた王女が目を覚ます。
「う……勇者様? 魔王は……」
「あ、ああ、アレ」
「これは……ここまでしないと滅ぼせなかったとは……恐ろしい。でも、さすがは勇者様です」
 いや、どうだろうか。ここまでしなくても死んだと思うけど。銀色の使徒様は念入りにとか言ってたし。
「これで、平和が訪れるのですね」
「ああ」
 まだ魔王軍は残っている。四天王を始めとした幹部だって生き残りはいるだろう。魔王だけを倒して終わりなんて事はないだろうが……それでも一応の決着になる。ここから人間が反撃を始めるのだ。
「あ……」
 王女が上を見上げ、指を伸ばした。その先には魔王城の天井に開けられたいくつかの穴が見える。おそらく、戦いの最中、余波で開いたものだろう。その穴の向こうから光が見えた。
「……光」
「あれが太陽なんですね」
 魔王が倒れた影響か、闇に閉ざされた空が晴れた。生まれてから初めて見る眩い光だ。あれを見れば、きっと魔王が倒れた事は伝わるだろう。

 こうして、世界は救われた。世界連合軍の奮闘や、勇者たちの戦いは伝説として語り継がれる事になる。
 その影に、あまりにも唐突に現れた銀色の英雄がいた事は歴史の闇へと消えていった。

◆◇◆

「あー、ちかれたー」
「お疲れー」
 一仕事を終えて部屋に転送されると、妹がベッドに寝転んで漫画を読んでいた。最近では良くある光景である。
 お疲れとねぎらう言葉ではあるが、こちらを見向きもしていないのがアレな感じだ。大仕事をしてきた兄に対して雑な態度だとは思わないのか、妹よ。
「今日はどんな怪人だったの? あれ、でもテレビ映ってなかったよね。勝手に点くんじゃなかったっけ?」
 もういい加減慣れてしまったのか、心配するような素振りはカケラも見えない。
「怪人じゃねーからな」
「怪人じゃないなら、何してきたの? デート?」
「なんでやねん」
 確かにデートも疲れそうだが、そんな選択肢はない。相手がいないという意味もあるが、この場合、なによりの問題は俺が面倒臭いという事だ。相手だけなら、多分ミナミさんあたりに言えば相手してくれるんじゃないかなーとは思うが、引き籠もりに対して外に遊びに行けなどと、冗談も大概にしろと言いたい。
「実は魔王倒してきた。兄ちゃん世界を救って来たんやでー」
「魔王て……魔王って名前の怪人?」
「怪人じゃねーって言ったじゃねーか」
 どんな怪人じゃ。いや、いないと言い切れないのがアレだけど。魔王怪人とか、なんちゃら怪人マオーとか。
「異世界に行って、世界征服を企む魔王を討伐して来たんだよ」
 事の起こりは、そう……かみさまからの頼みごとだった。珍しく向こうからの連絡であり、一体どんな話を振られるのかと思ったのだが、その第一声は。
『英雄君、異世界とか興味ないかな?』
 だったのだ。魔王討伐はかみさまからの直々の依頼なのである。
 話を聞けば、かみさまが神様をやっていた世界で暴れている魔王を退治しに行ってくれという、古巣の事後処理のようなものだった。
 事後処理と感じたのも実は正しかったようで、その魔王はかつてかみさまを信奉していた狂信者だったらしい。神々の戦いに破れたかみさまが失脚し、世界の構図が変わった事によって何かしらの変化が起きてしまった結果なのだろうという話だ。
 別にかみさまがどうにかする理由も責任もないのだが、後味が悪くて睡眠時間が減ってしまうという切実な悩みから正式に許可をとった上で俺を異世界へと送り込んだのである。ポイントはしっかり取られたらしいが。
「一体いつの間にそんな大冒険を……というか、数時間前まで部屋にいたような」
「行って、轢き殺して、そのまま帰って来たからな。向こうにいたのは一分くらい?」
「……それで疲れるの?」
「いやだってさ……轢き殺した魔王が実は人違いだったかもって言われたら、めっちゃ不安じゃねーか」
「確認しなよ」
 それはごもっともなんだが、どう見ても悠長に話してられそうな場面じゃなかったんだ。なんか勇者っぽい奴がやられそうだったし。
 討伐が遅れた事で異世界がどうなろうと知った事ではないが、どうせなら被害は少ないほうがいいに決まっている。見た目からして悪の親玉って感じだったし。
「ナビゲーターたるミナミの指示が不明瞭なのが大体の原因だろうな。あいつ、ネットワークないとポテンシャルガタ落ちだし」
 ちなみに、エロボディのポテンシャルは変わらない。
『いやその……そもそも情報が曖昧でしてね』
 いつもの宙空モニターではなく、PCの画面にミナミが現れた。妹がいる時だけ急に消極的になるミナミだが、自分の話題を振られたら出てくるらしい。
「姉ミナミさんがそう言うって事は本当に異世界に行ったって事か……」
「信用してなかったのかよ」
「二人揃ってやってる事メチャクチャな上に、世界もメチャクチャな状況で何を信用しろって?」
 まあ、そりゃそうだ。年末から世界情勢えらい事になってるからな。あのクリスマスのイベントはそれほどの影響力だったという事だ。
 各国、首相だけじゃなく外相もずっと臨時会談やってるし、北大西洋沿岸はどこも混乱してるみたいだし、アフリカはもうずっと紛争一歩手前だし。ベルファストを中心として、アイルランド問題だって今更再燃しそうだし、欧州では難民問題が更に加熱してる。
 この状況にあって経済が安定するわけもなく、元から経済破綻しかけていた国なんてロクに救済も得られていない。
 極当たり前に世紀末論を掲げた団体や新興宗教が流行り、逆にヒーローが表に出てくる事を待望する連中もいる。政治家の語る公約にヒーローや怪人の事が当たり前のように含まれ始めて来たのも問題だ。
 日本はあんま変わらずに年越ししてたけど、さすがに影響は隠し切れてないのか、各種メディアには色んな情報が飛び交っている。
 この状況でこれまでの常識がそのまま通用するはずもなく、そんな中で最もメチャクチャやってる俺が異世界行きましたとか言い出しても、へーそうなんだーって感想になるのはおかしくないのかもしれない。
「よし、じゃあ動画見るか? 貴重な異世界の資料だぞ」
『あ、なんか規約で表に出しちゃいけないみたいです』
 おのれ……普段ガバガバなくせに、変なところばかり規則作りやがって。
「というかね、私だって色々大変なんですけど。クリス匿いながら、ボロ出さないか気にしないといけなかったしさー。ずっと銀タイツさんが銀タイツさんがーって言っている隣の部屋に、その銀タイツさんいるっちゅうねん」
 ……俺、頑張って助けたんだけど、銀タイツ呼ばわりなのか。そろそろヒーロー名の認知を広めるキャンペーンを始めないといけないのかもしれない。
「やっぱ、マスコミうるさい感じ?」
「みたいだねー。奇跡の救出劇!ヒーローに直接助けられた悲劇のヒロインって感じで。その上容姿がアレだから余計に」
 まあ、そうなるわなーって感じではある。普通に救出されたとしても似たような事になっただろうが、あいつ一人が最後の最後まで救出されなかったのは世界中が知っているのだ。その上で誘拐された場所に転送されるでもなく戻って来たら話題にもなる。直接救出された云々がどこまで周知されているかは分からないが、少し考えれば分かるだろうし、クリス自身が漏らしてしまった可能性は普通に有り得るからだ。
「そのクリスは? もう移動したん?」
『今はウチの実家にいますよ。そこの穴熊明日香やクラスメイトならともかく、ウチの妹みたいな新しい友人関係はマスコミも追えてないみたいですし』
 マスコミも多くはどこまで踏み込んでいいか分からずに二の足を踏んでいる状態だが、空気読めない記者はいるだろうし、一時的にでも見つからない場所に隠れるのは得策だろう。
「私も行こうかと思ったけど、少しでもデコイになればって別行動。わざわざ夜中に車出してもらって、荷台に積んで東京に運んでもらった」
「荷物扱いか」
 まあ、長谷川さんにお願いして運んでもらったのは知ってるけどな。こっちにも許可もらいに連絡きたし。
 配達先の名字に疑念を抱くかもという懸念はあったものの、今のところミナミと結びつけて考えている様子はないらしい。普段から欺瞞情報を織り交ぜているから単に偶然の一致と捉える可能性も高いが、賢明な人だから気付いていて無視している可能性もあるな。基本的に独自調査を行わない人だから判断が難しいのだ。
「あーいうの見てると、自分の兄貴がマスカレイドだってバレたら大変な事になるって実感する。日常生活送れなくなりそう」
「だろうな。いよいよ進退窮まったら、どうにでもする方法はあるが」
「たとえば?」
「どこかの無人島に逃げ場造るとか。あるいは木星とか興味あったりしないか?」
「ないよっ!!」
 移動はこっちで担当すれば足跡なんて残さないし、惜しまずにポイント使えば環境整えるのも扶養するのも楽勝だ。多分、世界一安全な領域を作る事ができるだろう。いっそ異世界行きって手もあるが、俺が行ったところは魔王の被害でえらい事になってるから違う問題も多そうだ。どのみち日常生活とはほど遠い事になってしまうのは間違いない。留学感覚ってのはちょっと無理。
「いくらなんでも時期尚早だが、そういう最後の手段はあるって事は覚えておけ。幾分か気が楽になると思うぞ」
「正体がバレたら危険信号だよね?」
「そうだな。ミナミに頼めばある程度闇に葬り去る事はできるだろうが、限界はあるだろうし」
『あのー、人聞きの悪い事を吹き込まないでほしいんですが』
 でも、多分できるしな。手段はあえて問わないが、何人か行方不明にする程度だったら普通にできそうなのが怖い。……というか、ミナミが本気を出して動き出したら俺でも止められるかどうか。
「で、お前はそういう相談をするために待っていたと」
「え、違うけど」
 違うのかよ。割と深刻な問題だと思うぞ。
「ほら、年明けたし、久しぶりに”お兄ちゃん”にお年玉貰いたいなーって。バイトも辞める事になっちゃったし」
「お前……」
 引き籠もりを続けてた兄貴に、ようやく会えるようになったと思ったら現金を要求するのか。
「引き籠もり始める前にご祝儀でまとめてやったじゃねーか」
「それは貯金してるけど、それとこれは別」
 というか、現金ねーし。ポイント変換してもいいが、手数料扱いなのかあんまりレートは良くないし。
「どうしても現金欲しいなら、ミナミにお願いして振り込んでもらうのがベターだな」
 おそらく、ロンダリングは済ませてある綺麗な金だろう。
「それは姉ミナミさんのお年玉であって、お兄ちゃんのお年玉じゃないし」
『いや、そもそもなんで私が』
「現金じゃなくて物でいいから。ほら、カタログに付箋付けといたし」
「お前……人のヒーローカタログを勝手に」
「大丈夫。なんか私が見ても問題なさそうなところしか見えなかったから」
 渡されたカタログで指定しているのはどれも普通の女子高生らしいものではあるが、そういう問題ではない。俺が買おうと思ってたものが色々バレちゃうだろ。今度、ミナミに無理やり着せようと画策していたエロ水着とか。
「しかしだな、建前上はこれも一応世界平和のために使うべきものであってだな」
『うわー、なんて嘘っぽい。意味なく氷柱買おうとしてた人が』
 黙れ、ミナミ。ここで軽々しく物を買って、しょっちゅう強請りに来るようになったら困るんだよ。兄として、妹のそんなだらしない部分を見過ごすわけにはいかないのだ。
「ほら、姉ミナミさんから貰うのに、実の兄から貰えないってのはどうかと思うし」
『なんで私があげる事が確定のように……そもそも、誰かにお年玉あげたことないんですけど。明日香さんにあげたら、じゃあ妹にもって事になりそうだし……いや、最近扱いに困り始めたアルゼンチン・ペソとかなら別に……』
 女子高生がアルゼンチン・ペソ貰ってどうしろっていうんだ。いや、お前も一応女子高生かもしれんが。
「というかだな。いくらミナミがアレでも、二つしか違わない相手にお年玉強請るのはどうなんだよ」
『アレ……』
「大丈夫、私はこんな時ゴリ押しするための魔法の言葉を知っている」
「……ミナミ相手に脅迫するとは、お前恐ろしい奴だな」
 最強無敵のマスカレイドさんですら躊躇しそうな事を……。お兄ちゃん、ちょっと心配になってきちゃったぞ。
「いや、脅迫じゃないし。多分、姉ミナミさんは分かってくれるって信じてる」
 性格的に怒ったりはしないだろうが、お強請りを通せる気もしない。
「そこまで言うならやってみろと言う他ないが……ミナミさん、そんな弱点あんの?」
『いやまったく心当たりはない……事もないですが、あからさまに触れてくるならさすがに戦争ですけど』
 そんなヤバいネタが存在するのか。どうしよう、無謀な挑戦に出ようとしている妹を止めたほうがいいのかな。
「いやいや、ちゃんと塩梅は分かっているから。よーしいくぞー『ねーお義姉ちゃーん、私お年玉欲しいな♪』」
 時が止まった。
 それ、普通にお強請りしただけじゃねーか。ミナミはお前のお姉ちゃんでもなんでもない上に、そこまで交流ねーだろ。
 普段の言葉遣いとは打って変わった猫撫で声で、まったく知らないおじさん相手なら強引に押し切れそうなお強請りでも、普段の妹を知っているミナミが騙されるはずはない。というか、つい直前まで普通に喋っていたわけだし。
『ぐはっ……』
 ……でも、なんかダメージ受けてるんですけど。まさか、本当に呪いじみた魔法だとでもいうのか。
「ミナミって妹萌えだったとか? でも、本物の妹いるよな」
「私としては解説してもいいんだけど」
『ノーッッッ!! お、おのれ穴熊明日香……卑怯な。なんて絶妙な距離感を……』
 ……どういう事なの? なんでそれだけでミナミが折れるの?
 あまりの急展開に困惑するしかなかった。俺の知らない内に、妙な力関係が生まれている。まさか俺をハメるためにプロレスしたってわけじゃないよね? ブックはどこだ、おい。
「優しいお義姉ちゃんならきっと、妹ミナミさんの分もくれると思うんだ」
『……く、分かりましたよ。私の負けです。何百万くらい欲しいんですか?』
「いや、そんな常識外な金額はいらないんですけど……。というわけで、ミナミさんがお年玉くれるというのに、実の兄がくれないというのは如何なものかと」
「さっぱり状況が掴めないが、魔法の言葉とやらに免じてくれてやってもいいような気がしてきた」
「やったーっ!!」
 怪人どもがやってくる変な戦法よりも、よほど不可解で劇的な結果である。ミナミ、画面の向こうでうつ伏せになってるし。
「じゃあ、このカタログの付箋付いたやつから選べばいいな」
 別に高いってほどでもない。現金に変換してお年玉にするよりは余程リーズナブルだ。というか、これ海外のブランドもんなんだけど意外に安いな。……関税無視なのか?
「あ、実は欲しいものランキングも作ってるから、コレがいいな」
「いいけど、お前指輪なんか欲しいの? 兄貴から指輪とか有り得なくない?」
 妹が渡して来たのは欲しいもの順にランク付けされたA4用紙だ。一位は指輪なのだが、多分俺からとかそういう事は関係なしに欲しいものを羅列したという事なのだろう。
「じゃあ、それはミナミさんにでもあげるといいんじゃないかな。私、思いやりのある”いもうと”だから、二番目の奴でいいよ」
「何故ミナミにやる事に……って、まあいいか普段世話になってるし。多少高かろうが……おいミナミ、これいる?」
 カタログを見れば結構な値段のするものではあったが、そこはヒーロー用のアイテムなどと違って普通の代物だ。贅沢品の極みといえるようなものでも大した値段とはいえない。むしろ、こうして比較してしまった事で普段睨めっこしているヒーローアイテムの高額さが顕になってしまったといえる。
『……ぃぃります』
 画面にカタログを向けて確認してもらおうと思ったが、ミナミの顔は机に張り付いたように伏せたままである。自分が貰うものなのに、確認しなくていいのかよ。やった後で、思ってたのと違うと言い出しても交換しないぞ。
「じゃ、二番目って事はお前はこっちのコートな。ちゃんと口裏は合わせておけよ」
「分かった」
 せっかくだからという事で妹ミナミとクリスにも同じものをプレゼントする事になってしまったが、そこら辺は別にいいだろう。ここまで色々巻き込んでしまっているから、せめてもの罪滅ぼしと考えよう。幸い、俺って金持ってる引き籠もりって事になってるし。
「……というか、俺には誰もくれないのか。お前、母ちゃんから持っていくよう言われたりしてない?」
「そんな年でもないし、引き籠もりにお年玉くれる親でもないと思うけど。ていうか、私が部屋に入れる事も知らないし」
 それもそうだ。くれるつもりなら、飯と一緒に置いておくだろうしな。
『……ぐぉぉぉぉぉ』
 そして、コートの入った箱を抱えた妹が上機嫌で部屋を出ていった後、残されたのは画面の向こうで顔を伏せて唸るミナミさん。
 ……コレは、どう対応すればいいんだろうか。
『ん……んん? マスカレイドさん、仕事です』
 そんな風に悩んでいると、丁度良く別の話題が舞い込んできたらしい。アラームは鳴ってないから怪人じゃなそうだが……また異世界行けって話だろうか。面倒なんだけど。

◆◇◆

 闇に包まれ続けた世界に昼が戻った。直接の報告や凱旋はなくとも、それだけで魔王が討伐されたという事実が戦域に広がっていった。
 希望は噂になり、噂は確信に変わり、確信は士気へと変わった。決して優勢だったわけではないのに、太陽が姿を現しただけで連合軍は勢いを取り戻し、魔王軍は半壊し、敗走を始める。
 そんな中、駄目押しとばかりに勇者と王女が姿を見せた事で、戦いの行方はほぼ決した。

 この戦いで人類が出してしまった犠牲は大きい。人間同士の戦争では決して有り得ないほどに死傷者を出し、どの国の国力も十五年前とは比較にならないレベルで衰退した。
 勇者と共に戦い、魔王の元へと送り届けた仲間たちのほとんどは死闘の果てに力尽きた。魔王軍は壊滅こそしたものの、四天王の生き残りを旗頭に各地で抵抗を続けている。
 それでも、取り戻した太陽の光が希望となって世界を照らしている。

 そこまではただの事実。理由の分からない奇跡……あの日、唐突に現れた銀の使徒の正体は未だ分からず。手掛かりすらない。
 事情を話した王女や王は、それが真実と理解した上で、魔王討伐は勇者の功績だと広めた。
 確かに説明などできるはずがない。そもそも、自分でも何があったのか良く分かっていないのだ。あの時起きた奇跡は、勇者の記憶だけに留まり、やがて風化し、なかった事になるのだろう。そう納得するしかなかった。
 偉大な勇者だと讃えられ、歴史に残るのが事実でないとしても、それが世界にとって良いものであるのならば受け入れるべきなのだ。
 勇者の心だけに黒いモヤモヤを残したまま、すべてが良い方向へと進んでいく。

 勇者は英雄になり、やがて人を導く存在になるだろう。
 役目が終わったと、勇者を排除する余裕はない。ここが、新たな歴史の立脚点。いつかは伝説になるような歴史の一頁に少々不明なところがあったところで誰も疑問に思う事はない。
 だが、せめて自分だけはあの奇跡を覚えておこうと思った。

「思えば……こうして、杯を交わす暇すらなかったな」
 若き新王が酒杯を傾ける。正面には自分の娘と、その伴侶として……あるいは自らの後継者として正式に宣言をした勇者。これがこの国に残された王族のすべてだ。あまりに少ない人数は、暗黒の時代が残した爪痕そのものだろう。
「正直言って、俺はお前に殺されても文句は言えん立場だ」
「いえ、そんな事は……」
「ある。国のためと親族を皆殺しにし、何も知らぬ少年を祭り上げ、戦いに身を投じさせ、世界の命運まで背負わせた。……国をまとめたという自負はある。俺以外にこの大仕事は成せなかっただろう。しかし、それは免罪符にはならん。……ましてや、その後を任せようなどとはな」
 自分は国王という名の生贄となった。それは自ら望んだ事であるが、その犠牲になった者に同じ道を歩ませようとしている。
「国王として……いや人として無様極まるが、それしか道がないのも事実。悪いが、最後まで……いや、俺が死んだ後もこの国に付き合ってもらう」
「承知しました」
 否はない。背負わされたものではあるが、この道を歩んで来たのは自分である。王が自負を持つように、勇者もまた自負を持っている。先に続くのが血塗られた道だとしても、自らの意思で歩む決意は固まっている。
「まあ、今は飲め。実はこれ、宝物庫の奥で丁寧に保管されてきた国宝らしいからな」
「はい……って、ええええー!! な、なんでそんなものを……」
「ははは、いいじゃないか。これから国は新しく生まれ変わるんだ。古い遺物も綺麗サッパリ飲み干してしまおう」
「お父様……」
 軽く振る舞ってはいるが、こういった精神力を持つ者こそが新しい王として在るべき姿なのかもしれない。生真面目な王女に窘められるのも、今はいい肴になるだろう。
「長く苦しい建て直しが始まるんだ。そんな祝杯に使われるのなら、こいつも本望だろうよ」
 王が杯を呷るのに続いて、勇者と王女も自身の杯を呷った。期待していたほど美味いものではなかったが、それは歴史の重みを感じさせる一杯だ。
「どうせなら、勇者殿が会ったという使徒様とも飲み交わしたいものだがね」
「そう……ですね。酒はともかく、お礼くらいは…………」
「……どうした」
 そこで言葉に詰まった。様子のおかしい勇者を見て、国王が問いかける。
「ん? どこだよ、ここ。前のところと全然違うぞ」
 原因は明白だった。国王の背後になんの前触れもなく、銀色の男が現れたのだ。
「な、何者だっ!?」
「え、怪しい者では……どう見ても怪しいか。あ、そこの人、前もいたよな」
 なんか、普通に話しかけられてしまった。あまりの突然さと状況に、ちゃんと記憶できていなかったが、そういえばあの時もこんな感じだったような気がする。
「……使徒様?」
「使徒? あーまあ、かみさまに言われて来たのは確かだが、そんな仰々しいもんじゃないぞ」
「……この方が、勇者殿の言っていた方だというのか?」
 銀タイツに疑惑の眼差しを向ける国王。唐突に全身銀色の大男が現れれば誰だって警戒するだろう。
「はい。何故ここに……」
「魔王ぶっ殺してこいって話だったんだが、手違いがあってね。ちゃんと仕留めて来いって怒られちゃってさ」
「しかし、魔王は確かにあの時バラバラに……」
「いや、さすが魔王と呼ばれるだけあって狡猾らしくてさ。生き残って、今ものうのうとほくそ笑んでるぞ」
 バカな。それではあの時倒したのは一体何だったというのだ。
「……そこで」
 その瞬間、銀タイツの姿がブレた。同時に巨大な音が鳴り、その方向を見遣れば首を掴まれたまま壁に叩きつけられた王女の姿。
「貴様、何をっ!?」
「最低最悪の奥の手だ。力を失ったこいつは王女様に成りすまし、そのまま潜伏。数世代後に魔王として復活ってシナリオだったらしい。今は絞りカスみたいなものらしいからこうして泡噴いてるが……ほら、変身解けてきたぞ」
 見れば、王女の姿は足元から次第に異形のものへと変貌しつつある。それは、あの城で最初に勇者を待ち受けた時の姿だ。
「い、一体いつから……」
「それは知らんが、本物の王女様はまだ魔王城とやらにいるらしいぞ。早く迎えに行ったほうがいいんじゃないか?」
 ……もしそれが本当だとするなら、とんでもないミスを……いや、それよりも今は本物の王女を救出しに……。
「バカな、バカな……思考を完全にトレースし、自己洗脳まで行ったというのに……」
 ニセ王女の姿は完全に魔王のものと化し、その口から怨嗟の声が漏れ始める。騙されていた事にすら理解できたとは言い難いが、これを見て本物の王女と言う者はいないだろう。
「大好きだったかみさまは今も見てるって事だ。……お前、怪人っぽいからやりやすくて助かるわ、せいやっ!!」
 ――《 マスカレイド・インプロージョン 》――
「グエエエエエエッッッっ!!!!」
 首を掴んだまま、腹部へ拳打を放つと、異形と化したニセ王女は粉々に砕け散った。それだけですべてが終わり、部屋に静寂が訪れる。
「さて、終わり終わり。それとも、本物のところまで連れていってあげたほうがいいか、勇者様。一回間違ったから、それくらいアフターケアしてもいいよ」
「は……いえ、僕が行きます。行くべきです」
 思わず助けて欲しいと縋り付くところだったが、それはしてはいけない事だ。すべてを背負って立つと決めたのだから、せめてそれくらいはしないといけない。それすらできないで、何が勇者なものか。
「で、でも、その前に……使徒様、せめてお名前を聞いてもいいでしょうか」
「ああ、マスカレイドだ。この世界のふるーい神様の後始末をしに来たヒーローだよ。恥ずかしいから、誰にも言うなよ」
「ありがとうございました、マスカレイドっ!! では王様、行ってきます」
「あ、ああ……行って来い」
 状況を飲み込めずに、勇者を送り出す国王。本来であれば、どれだけ混乱していても一人で行かせるような真似はさせない。しかし、何故か一人で行かせるべきだと感じていた。
 駆け出す勇者の後ろ姿を見送り、視線を向けてみれば、そこにいたはずの銀タイツの姿もない。

「はてさて……国宝が見せた幻か、それとも真に神が送り出した救済か」
 完全に信じていたわけではない。正直、勇者が極限状態で見た幻だろうと思っていた。
 だが、いた。いたのだ。この人類が滅びるかもという土壇場で、手を差し伸べくれる英雄が。
「くっ……はははっ!!」
 思わず笑いが込み上げてくる。
 何が血塗られた道だ。何が勇者に背負わせてしまうだ。心配性もいいところだ。あの時駆け出していった勇者の姿は、あんなにも軽やかだったではないか。
 深く、椅子に腰を下ろす。
 状況が状況だけに、まだ安心はできない。そもそもが致命的な騙し討ちを喰らうところだったのだ。
 勇者が無事王女を連れて帰還したならば、その時はもう一度飲み直そう。その時こそ……確かに存在した、あの銀色の英雄に祝杯を捧げるのだ。

「しかし、なるほど……神の世界ではああいう格好が流行っているのか」

 それはどこにあるかも定かではない異世界の物語。
 とある国の建国記に数行のみ記される事となる歴史の真実の一端である。

2023年1月15日

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