肛門というのは男女共通の排泄器官である。間違いなくイレギュラーな使い方で医学的に絶対推奨されないが、古くから性交に使われる穴としても有名で、これも男女問わない。
未だ男性時代の感覚を引き摺っている私としては、当時から存在していた器官を使う事に恐怖を覚えたものだ。アレクサンドラの穴に興味はあってもアレクサンドルの穴はノーサンキューだからだ。だから興味はありつつもなんとなく避けていたわけだが、ABマンという劇物のせいで手を出してしまう事になってしまった。
いざ手を出してみれば、タガが外れたのか爛れた日常に組み込まれるわけになったわけだが、その境界を超える原因となったABマンへの感謝は特にない。感謝されたところで彼も困惑するだけだろう。
目の前の画面で繰り広げられている戦いを見れば、余計にそう感じる。
『くっ! 怪人はアナルを爆破されようが決して屈しないっ!!』
『どうした、声が震えてるぞ。最初の威勢はどうした?』
パナマ共和国の首都パナマ市から離れた郊外において、一つの戦いが決着しようとしている。ライブで配信されていたのでついつい見てしまったが、予想通りひどい内容だった。
対戦カードはABマン対余剰怪人デッド・ストック。相手怪人に興味などないのだが、名前が目に入ってしまえば相手が誰だろうと気になってしまうのがABマンというパワーワードなのだ。
名は体を表すというが、このデッド・ストック、その他大勢という特徴が濃く表れた怪人である。大した能力は持たず発生時のランクも下位、固有の必殺技もなく、一度でも生き残れば奇跡という評価だ。
実を言えば、こういった三下臭さえしないモブのような怪人は結構多く、余剰怪人という名も一人ではない。発生原因ははっきりしないが、世を生きる十把一絡げの大衆が持つ、何者にもなれないという意識が原因でないかと言われている。大きな目的を持たず、現状維持を目的として日々を生きる。そんな数だけ多い一般人でも、数が多ければ情念は膨大なものとなる。そういうカラクリなんだろう。
発生時から弱く、成長の機会も見込みもなく、万が一成長したところで何かが開花するわけでもない。そんなちょっと強い戦闘員程度の存在は、ヒーローにとってただの練習材料だ。ヒーローVRの利用数が増えてきた今でも、仮想では代替できない実戦の空気を求めて出撃するヒーローは多い。それはABマンも同じなのか、担当エリアでもないのにこうして出撃してきたりする。
『さあ、どっちだと思う? 前回のようにフックで生き延びるか、フィニッシャーされるか、二つに一つだ』
『う、あ、あぁああ……』
そう、デッド・ストックがABマンと戦うのはこれが初めてではない。対戦回数が多過ぎて宿敵とかストーカー扱いされたアンブレイカブル・ボディほどではないが、過去に何度もアナルを虐められた経験があるのだっ!!
彼の中には未知の快楽と、爆発と死への恐怖、そういった複数の感情が入り混じっているに違いない。
普通、肛門の快楽を得るには特殊な開発が必要で、ABマンのようにただ引き抜くだけではただ痛いだけだろうという疑問を持つ人もいるだろう。しかし、実は奴は最近ABE……《 ABエクスタシー 》という、ABF発動時に快楽を強制発生させる能力をカタログで購入している。私が提案してカタログに追加された能力だが、実際に購入したのは彼自身の意思だ。それは奴の性的嗜好が含まれている気がしてならないものの、怪人により深い恐怖や絶望を与えるという相乗効果が生まれているのも確かなのだ。
そんな強化型ABFが発動するっ! 今、これ見よがしに振り上げられたABマンの腕が振り降ろされたっ!
『や、やめろぉおおおおっ!!』
「……なんというか、やっぱり寝る前に見るもんじゃないな」
巡回して気になってしまったからつい見てしまったが、やはりABマンの動画は精神にクるものがある。奴に性癖を破壊された身としては尚更だ。ついついアナルを爆破される幻覚におびえて眠れなくなってしまう。
極限のフレックス制のような私の生活でも、あまり日常のリズムを壊したくはない。睡眠時間が少なくてもこの体は肌荒れや体調不良とは無縁だろうが、精神状態は仕事のクオリティに直結してしまう。できれば、あまり時間をかけずに就寝したいところだが……。
「よし、せっかくだからレビュー依頼されている新商品の寝具を試してみるか」
カタログで新商品が出る度に積み重なっていくから、こういったレビューし難いモノは積極的に崩していきたい。どれがどの程度効果が期待できるかは分からないが、少しでも安眠効果があれば御の字だろう。
というわけで、倉庫で一番手前に積んであった枕と掛け布団を試してみる事にしたのだ。シルクのようで、それ以上の肌触りが素敵な一品である。一応シーツも加えた三点セットらしいが、これは面倒だから後回しでいいだろう。
靄のかかった意識の中、果てのない荒野を私は逃げていた。背後には明確な脅威。全力で逃げてもいつの間にかそこにいる亡霊のような存在が、常に追跡し続ける。
コレは一体なんだ。何故私はABマンに追われているっ!? 奴が運営に不満を持っていて、私はその生贄に捧げられたとでもいうのか。いつかそんな反逆を目論むヒーローが出てきてもおかしくはないと思っていたが、まさかこんな……っ!?
「クックック、貴様が誰かは知らんし、特に理由もないが、その恥ずかしい穴に絶望を刻み込んでやろう」
「理由ないのかよっ!?」
趣味か? プライベートな事まで把握してないが、まさか普段から手当り次第にアナルを爆破してるとか言わないよなっ!? 日常に潜む狂気どころの騒ぎじゃないぞ。
――《 ABパンチ 》――
逃げ惑う私に、特に走ってる様子もないABマンからパンチが飛ぶ。尊厳破壊の気配を察知してとっさに躱したが、いつものドレスが一瞬でバラバラになるような威力だ。
いくらドレスが頑丈な作りでもこれは日常品だ。ヒーローの一撃に耐えられるようなものじゃないし、容易に破壊するのがヒーローの最低限の腕力というのものなのだ。
というか、なんで私はドレス着てるんだっけ?
「くっ!?」
急に下腹部を襲う違和感に足が鈍くなる。この馴染み深い感覚はまさか……。
馬鹿な、確かに躱したはずだ。わずかでも掠っていたというのか。いくら怪人並の身体能力を持つとはいえ、戦闘経験のない私では完全に躱せたとは言い切れない。
当たったのか? 当たったのかもしれない。何より下腹部の異物感がそれを証明している。いや、ひょっとしたら元から挿入していて、それに気付いただけという事も……。
いや、真偽はともかくこれだけならまだ大丈夫だ。他人に引き抜かれた経験などないが、これくらいならABフックを喰らっても単に少し気持ちよくなってしまうくらいだろう。問題はこれだけで済む気がしないという事、そしてフックではなくフィニッシャーが放たれた場合だ。
当たり前の話だが、私に耐えられるのはフックまでだ。い、いや、絶頂するかもしれないから耐えられるというのは語弊かもしれないが、とにかくその程度で絶望などしない。しかし、これが爆発したら普通に大怪我だ。私のようなただの変態に、爆発を快感に変換する事などできるはずがない。
「く、そ、一体、どうすればっ!」
息を切らせながら走るが、後方のABマンとの距離が遠ざかった気がしない。奴はスタスタと直立したまま歩いてるようにしか見えないのに。
ただ走るだけではない。奴は断続的にABパンチを繰り出し、私はそれを避けなければならない。ジワジワと嬲るように追い詰められてく恐怖。これが奴と対戦した怪人が味わった恐怖だというのか。
「うぁっ!!」
持て余し気味な身体能力でなんとか躱し続けていたが、とうとう自分でも実感できる程度に掠ってしまった。
しかも、その瞬間に感じたのは新たなビーズの発生ではなく、出口付近に今まで感じていたヒーズが肥大化した感覚。まさか、ABパンチだけでなくコンビネーションまで混ぜているというのかっ!? どれだけ本気なんだ。
「ま、マズい!」
この感覚は危険だ。いくら慣れてるとはいえ、まともに走る事などできない。当たり前だが、直腸……それも口に出すのは恥ずかしい出口付近で膨張した球体を抱え込んだまま行動などできるはずがないのだ。
動画を見る度に思っていた。これは怪人たちにとってどれだけのデバフになりうるのかと。それを身を以て実感してしまっている。これはまるで、私が動画を見ながら想像した通りの……。
ん? 何かが引っかかる。いや、ビーズが出口に引っかかっているとかそういう意味じゃない。コレは、何かがおかしい!
「うわっ!」
そんな違和感に確信を持った瞬間、背中から爆風のようなパンチが放たれるっ!
その瞬間、私のドレスの色々なパーツまでも吹き飛んでいってしまった。幸い、痛みなどはないから直接ダメージではないようだが……。
「って、おかしいだろっ!?」
何故か、私のパンツとブラジャーが飛んでいくのが見えた。触ってみても下着の感触がない。アレは確かに私のモノだ。
物理的におかし過ぎる。衣服にダメージを受け続ければ、そりゃいつかは下着だって破けるだろうが、こんな布が多い状態でインナーだけが綺麗に飛んでいくなど有り得ないっ!
有り得ない。そう、有り得ない。こんな状況は有り得ない。最初からしておかしいんだ。私がABと戦っている理由も経緯も謎で唐突過ぎる。
……そうだ、これは夢だ。夢に違いない。
言葉だけ聞くとただの現実逃避にしか感じないが、これは夢以外に有り得ないんだ。あまりに支離滅裂過ぎて常識が仕事をしていない。常識を壊し、凌駕するのがヒーローだとしてもこれは行き過ぎだ。
「クックックッ。さあどうする。良く知らない奴よっ! 恐怖に震え、目の前の絶望に頭を垂れるがいいっ!!」
というか、ABマンの口調、あんなんじゃねーし。キャラ崩壊している。
しかし、どうするって言われても……そんな事は決まっている。ここが夢なら……どうすればいいんだ? ……あれ? どうやったら、この夢は覚めるんだ?
おそらく、これは明晰夢というやつだ。その真実に気付き、逃げる足を緩めそうになったが、真実に気付いたところでどうすればこの場を切り抜けられるか分からない。
そうだ、夢なら自分の意思次第でなんとでもなるはずっ!?
だから、意思を強く持てばどうにでもなるだろうと……それに気付いた瞬間、別の事実にも気付いてしまった。
……このシチュエーション自体が自分の願望ではないのか、と。
「まさか、いくらなんでもこんな……」
常に性への探究心を抱き、実践を続ける私だが、そんな趣味があるとは思えない。そんな馬鹿な、と一蹴したいが、頭のどこかで否定し切れない自分もいる。何故ならば、私がアナル開発に手を出したのは間違いなくABマンの精神汚染によるものだからだっ! 潜在的なモノまで反映された夢ならば、絶対にないと言い切れないのが私の変態性だ。
しかし、早過ぎるっ!! 私のレベルはそこまで上がっていないんだっ!
「そろそろ終焉だ。さあ、どっちだと思う? フックで悶絶絶頂するか、フィニッシャーされるか、二つに一つだ」
そうだ、これは寝る前に見た動画の再現。どちらがくるか分からないという未知の恐怖と快楽への好奇心が異常なまでに作用した事で、心臓が聞いた事もないほどに早く大きく鳴り響く。
これが私の願望から生まれた夢だと仮定する場合、普通ならフックで悶絶絶頂して終わりというパターンになるはずだ。しかし、どうしてもフィニッシャーという未知が発現する可能性を否定できない。
肛門を爆破される願望などない。ないはずだが、私の奥底にそういう強烈な被虐性が眠っていないという保証もない。普段の私を考えるなら、そういった事に自信など持てるはずない。
ま、まずいっ!? こんな克明な夢で爆発を再現されたら、たとえ未知の感覚だとしても想像し得る限りのダメージを再現してしまうっ!? このままでは本当に恥ずかしい穴に絶望を刻み込まれてしまうっ!!
「いくぞっ!」
「うわああああああああーーーーーーっ!!」
悪夢が覚めた。
全身汗まみれ。ついでに多分失禁までしているのに、そんな事がどうでも良くなるくらい、夢から覚めた事にひたすら安堵する。それくらいの悪夢だった。
「……い、一体、どうなったんだ」
夢の最後がどうなったか分からない。発動の瞬間に覚めたという事も有り得るが、あまりのショックでそこだけ抜け落ちてしまったという事も有り得る。
そもそもが夢だ。明確な答えなどあるかも分からない。あるいは運営の技術で調査すれば、その瞬間を確認する事だってできるかもしれないが、そんな勇気はない。
少し冷静になって考えてみれば、あの悪夢の原因はどう考えても就寝直前に替えた寝具だろう。内容的に私の願望も少しはあるかもしれないが、大部分はそれに違いない。
確認してみれば、寝具の名前は< 安眠用寝具三点セット >と、開発中に有りがちな名前だ。付属のマニュアルを読んでも、『不眠のあなたも快眠し過ぎて遅刻しちゃうかも?』なんてムカつくキャッチコピーが書いてあるくらいでさほどおかしなところはない。
しかし、末尾のほうに記述された注意点を読んでみれば……。
「……必ず枕、掛け布団、シーツを揃った状態で使用して下さい。想定外の不具合が発生する可能性がございます、か」
……そういう大事な事はもうちょっと早めに記述して欲しかったな。
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