◇◆◇Epilogue「変革する世界」
自分で言うのもなんだが、私は頭が良くない。
学校での成績は頑張れば赤点にならないくらい。特に暗記ものが苦手で、一度覚えてもすぐに忘れてしまう。かといって、特別得意科目があるわけでもない。運動もどちらかといえば苦手だ。
学校で評価される項目以外に得意分野があるわけでもなく、全般的に微妙に出来が悪い。ずっと一緒だった明日香が頭良い分、余計にそれが目立つらしい。というか、自分でもそう思う。
ハーフな分、見かけで目立つから余計に頭の悪さ……良くなさが際立つ。金髪だから英語得意とは限らないっちゅうねん。
いや、違うから。馬鹿じゃないから。平均より少し下ってだけだから。ウチの高校、一応進学校だし。
「……なんというか、明日香君の周りには個性的な人が多いな」
「ちゃうねん」
こんな人気の少ない駅の改札口前まで、わざわざ迎えに来てくれたミナミさんは呆れ顔だった。
電話で話した事はあるけど、初対面でこの邂逅はあんまりだと思う。明日香の周りにはこういう頭の良さそうな人が多いから、相対的に私が馬鹿に見えるだけなんじゃないだろうか。阿古もアレで結構成績いいし。おのれ。
かなり前から予定を立てていた泊りがけの海水浴旅行。引っ越してしまった中学時代の友人も来るのに私だけハブられては叶わぬと、必死に赤点は回避した。事前準備もバッチリで、忘れ物も多分ない。しかし、いざ当日移動という段になって、まったく違う路線に乗り換えてしまった。しかも、それに気付いたのが数駅過ぎた後という致命傷っぷりだ。田舎の路線は駅間が長いから洒落になっていないのである。
そして逆に戻ってみれば、路線の乗り入れがどうとかで変な駅で止まってしまった。本当、電車って面倒臭いと思います。
「普通乗る路線を間違えてもこんなところまで来ないだろう。明日香君から電話をもらった時は、まさかそんなと思ったが。電車が苦手なら他の子たちと一緒に移動すればよかったのに」
「い、一緒だったけどはぐれたの……」
「それはまた……」
ラッシュアワーに巻きこまれてしまったのが運の尽きだったのかもしれない。社会人の皆さんは学生が夏休みでも関係なく仕事なのだ。人が減ってきて、近くにいると思っていた友達がいないと知った時の絶望たるや、とても言葉に表せない。私の語彙が少ないからというわけではなく。
「幸い路線図的にはともかく、距離的には離れていないから問題はないけど」
「いや、ほんと助かります。はい」
たまたまというかなんというか、ミナミさんはこの近く……少し近い場所に住んでいる姉夫婦の家に昨日から泊まりに来ていて、そこから直行するつもりだったらしい。そこを拾ってもらうというわけだ。
ここから電車に乗って目的地に移動となると、一旦地元の駅まで戻る必要がある。私だけだとまた変なところに行ってしまう可能性があるから危険極まりない。最悪の場合、出発まで一緒だったのに欠席コースだ。その点、車なら半分以下の時間で目的地へ移動可能である。なんてお得なんだろうか。素晴らしい。電車はオワコン。
「ウチの姉がいなかったら大変だったな。でも、さすがに車の座席に座っているだけなら迷いようもない」
「ご迷惑おかけします……それで、そのお姉さんの車はいずこに?」
「ガソリン入れて来るって。ここで待ってればすぐ来るよ」
ミナミさんのお姉さんが車を出してくれていなかったら、私はこんなコンビニくらいしかない駅で人生を嘆いているところだった。……ああ、日差しが強いなあ。
「えっと、ミナミさんは阿古の隣に住んでるんだっけ?」
いくら気恥ずかしいとはいえ、これから何日か一緒なのだ。世間話をして距離を縮めておいても損はない。
これだけの美少女なら親しくなりたいという下心もある。いいよね、美少女。世間では私も美少女って言われてるんだぜ。どうだ、いい絵面だろう。ふはは。
「そうだよ。中学三年の時はクラスも一緒だった。明日香君と知り合ったのもその繋がりでだけど、彼女とはまた妙な繋がりがあってね」
「例の爆弾騒ぎの時に一緒にいたんだっけ」
「それもあるけど、それとは別に。彼女のお兄さんの関係で」
……お兄さん?
「はーー、そうなんだ。でも、明日香のお兄さんって引き籠もりなんだけど」
「……直接会った事はないよ。まあ、色々あってね」
なんか口を噤むような関係でもあるんだろうか。
「君は会った事があるんだっけ? 阿古君は会った事ないって聞いてるけど」
「あるよ。というか、明日香の友達でも私くらいしか会った事ないかも。最後に会ったのは小学校の時かな」
いつの間にかいたような気がするけど、確か初めて会ったのは幼稚園の頃。あまり覚えてないけど、あの頃から変な人だったような気がする。
「どんな人だか聞いてみたいね。明日香君の話だと、どうしても兄妹っていうフィルターがかかるし」
「いざ聞かれると困るけど……なんでもできる人かな。普通だったら諦めちゃうような事でもなんとかしちゃいそうというか、考えつかないような手で切り抜けるような気がする人。怪人とかが目の前に現れても倒しちゃいそう」
常識的に考えて軍隊でも倒せないような相手をどうこうできるはずはないんだけど、そういう期待をしてしまう。控えめに言っても駄目人間なんだろうけど、それだけではない。
それは明日香も分かってるけど、そういう評価はあまり表に出したりしない。兄妹故の気恥ずかしさだけではなく、そこには言葉にし難い感情があるのだと思う。
「引き籠もりって巨大な短所を抱えてるけど、それ以外にも大量に長所がある人。明日香が聞いたらすごく嫌そうな顔すると思うけど、否定はしないと思う」
「似たような事は聞いてたけど、それほどなんだ」
「んー、困った時に相談するといい感じの答えくれそうなんだ。そもそも部屋から出て来ないけど。アレで引き籠もりじゃなかったら、多分モテてたろうね」
「……君も?」
なんか妙な間があったぞ。……なんだ、”も”って。
「私? 考えた事なかったけど、引き籠もりじゃければアリかも。明日香付いてくるし」
「いや、明日香君はオマケじゃないんだから」
色々もったいないよね、あの人。でも、引き籠もりじゃなかったら穴熊英雄じゃないって気がしないでもないんだけど。
◆◇◆
巨大な音が遠くから聞こえる。それに伴った振動が意識を揺さぶっていた。
それは何かの夢のようで、遅刻するから早く起きなさいと急かされているようでもある。私の目覚ましはこんな音ではないが。
「はぇ?」
目を覚ますと、そこは見知らぬベッドの上だった。
眠気がひどい。目を開けるのが億劫だ。すごく二度寝したい。けど、どう考えても異常事態である。寝ぼけてるけど、それは分かる。
ぼんやりした頭で天井を見上げていると、強烈な振動が襲って来た。地震なんてレベルじゃなく、何かが近くで大爆発したような振動だ。
「な、何事……っ!? って、あいたっ!!」
上体を起こしたら思い切り頭をぶつけてしまった。透明だったので気付かなかったが、どうやらこのベッドは何かに覆われているらしい。
「うううう……なんなの、もう……」
さっぱり状況が掴めない。爆音で目が覚めて、起きたら頭ぶつけるとか。
とりあえずこのベッドから出たいのだが、覆っている透明なカバーを開く方法が分からなかった。試しに押してみるがビクともしない。なんの素材か分からないが、壊すのも無理っぽい。ただのガラスでも、私の力じゃ壊せそうにないけど。
横たわったまま透明なカバー越しに天井を見上げる。布団は上質のものだが……なんというか、狭い。棺桶ほどではないが、あまり自由の利くスペースはない。なんでこんなところにいるのか。そもそもの疑問にまったく心当たりがなかった。
病院ではないだろう。誘拐? ……ウチはそこまで裕福というわけでもない。貧乏ってほどでもないが、高額の身代金目当てで誘拐するような対象にはならないはずだ。……いや、誘拐といえば明日香が前に何か言っていたような……怪人による誘拐事件がどうとか……。
「……怪人?」
意識がはっきりしてきたところで、意識を失う直前に起きた事を思い出した。
そうだ、確か飛行場のロビーで変な格好の怪物に襲われて……ひょっとして、アレは怪人って奴なのだろうか。……という事は怪人に攫われた? 何故? ホワイ? でも、怪人って基本的に人間を殺すものじゃないんだろうか。わざわざ人を攫うなんて昭和の特撮みたいな事……。
そもそも、ここはどこなのか。怪人に攫われて連れて行かれる先に心当たりがまったくない。というか、誘拐したら身動きできないように拘束するのが普通じゃないだろうか。ここはただのベッドだし……いや、カバーがそれなのかな。CTスキャンみたいだけど、牢屋みたいな扱いなんだろうか。
怪人の考える事なんて分からない。同じ人間の事だって良く分からないのに。
……ああ、でも明日香とかウチの両親は、今の状況になったらどうなるか簡単に分かる。すごく狼狽えるだろう。怒るとか何か行動する以前の問題として、きっと何もできない。何か対処をするには、わずかでも冷静さが必要なのだ。同じ状況で私がどうなるか……なんて考えれば、簡単に分かる。
こういう時、冷静に対処できる人間は少ない。ミナミさんとか普段は冷静っぽいけど、ああ見えて普通の子だからパニックになったら明日香と似たような事になるだろう。……明日香のお兄さんなら、なんか淡々と必要な事を始めそうだ。あの人、なんか超然としたところがあるし。
「なんにせよ、ここから出たい……」
何をするにも、自由に動けない身では始まらない。カバー開けるスイッチとかないんだろうか。ここが誘拐された被害者を閉じ込めておく装置か何かだったら、そんなものはないと思うけど。
ここで待ってれば、あの銀タイツさんとかが助けに来てくれるだろうか。
……でも、明日香が言うには一年以上前から誘拐は始まってて、攫われた人も戻ってないって話だったはずだ。この状況で一年とか、干からびるってレベルじゃない。死なないようになってるのかもしれないけど、それでも退屈で死ぬ。
いや、そもそも目を覚ます事が想定外なのかも。実はこの寝台はコールドスリープみたいなもので、ずっと意識がない状態で放置されているとか。
その場合、もっと大きな問題がある。……今はいつなのか。一年前に攫われた人もいるくらいなのだ。実はもう一万年くらい経ってて人類絶滅してるとか、そういう事だってないとはいえない。そういう区切りがやって来たから目が覚めたとか?
助けられて外に出ても、そんな事になってたらどうすればいいのか分からない。そもそも助けは来るのか。
「……どげんかせんといかん」
とりあえず、この寝台から出る方法だ。自助努力、大事。
余裕のあるサイズとはいえ真上の空間に制限がある以上、どうしても行動範囲は狭くなる。ミノムシのように胴体メインで散策するのだ。
しかし、いくら調べても開閉用のスイッチも、誰かを呼ぶためのブザーも見つからない。布団を少し引っ張ってみるとベッドの端にカバーの繋ぎ目が見えたが、成果はそれくらいだ。残されたのはぐちゃぐちゃになった布団と疲れた私だけである。
「足元も頭の上も覆われてるし、叩いてもビクともしない。……って、またっ?」
再び地響きのような轟音が鳴り響き、私は寝台の中でシェイクされた。これまでで一番激しい振動だ。まるで、すぐ近くで爆発でも起きたような。……まずい、このままここに留まっていたら死んでしまう。状況はさっぱり分からないが、命の危険を感じる。
「……あれ?」
ガタガタ震えながらぐちゃぐちゃになった布団で体をガードしていたら、しばらく経ったところで振動が止んだ。
そして、その振動の影響なのか、カバーが少し開いている。その隙間を使ってなんとか開けられないかと挑戦したところ、今までの苦労はなんだったのかというほどあっけなくカバーが開いた。やった、私は自由だ。
すぐさま立ち上がり、状況確認。今更ながら、服装は出かけた時のままだ。荷物は……ない。スマホもない。でも靴は履いてた。
改めて見回せば、ここは狭い部屋だ。窓がないので外がどうなっているのか分からないが、ドアはある。
このドアもどうにかして開けないといけないのかと辟易したが、触っただけで自動的に開いてしまった。自動ドアだ。
部屋から一歩出ると、そこは宇宙船の内部のような廊下が左右に続いている。なんというか、すごいサイバー。
通路は環状になっていて、隣り合わせで私が出てきたようなドアが並んでいる。しかし、これは触れても開かないようだ。自分の部屋だけしか開けられないのか、内部からしか開けられないのか、そういう事なのだろう。つまりオートロックである。ひょっとしたら、中に自分と同じように攫われて来た人たちがいるかもしれないが、そんな保証はないし、そもそも開ける方法がない。
この場で何かする事は諦め、移動を開始する。環状の通路を出た先は左右に別れた通路。どちらも特徴も目印もないただの通路である。
どちらに行こうかと悩んでると、ふと左のほうから物音が聞こえてる事に気付いた。それは何かがぶつかるような、爆発しているような音だ。
……という事は、さきほどまでの爆発や振動の原因がこの先にあるのだろう。つまり、危険極まりない。君子ではないが、ここは危うきに近寄りたくない。右の通路を選んで進み出した。逃げるともいう。
◆◇◆
「つ、疲れた……」
広い。あまりに広い構造だ。しかも似たような通路が続くばかりで、脇道すらない。
何かないか観察するにも、そもそも何もないのだ。ついでに言うなら、ここに怪人が現れても隠れる場所すらない。
気が滅入り始めた頃、通路の先に変化が訪れた。曲がり角だ。きっと曲がった先も似たような光景なんだろうな……とうんざりしつつ、足を進める。
しかし、その先にあったのは通路ではなく、巨大な通路を丸ごと封鎖する壁だった。……行き止まりである。
「……まじっすか」
ここまで歩いて来て、引き返せと。というか、行ける場所は爆発音が響いて来た通路しかないという事に。ちょー怖いんですけど。
休憩がてら、どうにか先に進む道はないかと考える。良く見ると、目の前の壁は周りの壁と少しデザインが違った。
「防火扉……かな?」
デザインは全然違うし、人が通れるドアがあるわけではないが、学校でも見かける災害対策用の扉に見える。多分、そう見えるのは周りの壁と微妙に色が違うからで……。という事は、本来ここは通路が続いているという事だ。
確かに曲がってすぐの行き止まりなんてそれっぽい。そして注意深く観察していると、壁の端に隙間があった。構造的に歪んでいるのは通路のほうだろうか。隙間の向こうを見れば空間が繋がっているのが見える。全体からすれば些細な隙間だが、元が元だけに人一人くらいなら通れるかもしれないという隙間だ。きっと成人男性やおデブさんでは通れないけど、私くらいならなんとかなる……よね? 最近体重が気になってたけど、平均よりはまだ痩せてるはず。最近、ちょっとダイエットしたし。ここは挑戦するしかないだろう。
「あいたたたっ、乳が、乳がもげるっ!!」
スペース的には問題なかったが、普段気にしていなかった胸のでっぱりで危うく通れないところだった。これが明日香だったら楽に通れただろう……と言うと叩かれそうだ。しかし、胸の痣と引き換えに道は開けた。普通に先へ進めそうだ。
再び移動を始めつつ、私は先ほどの隙間について考えていた。
……この建物は突貫工事で作ったような間に合わせの造りをしていない。綿密な設計と高度な技術で作られた……それこそ、人間には作れないんじゃないかっていうほどのシロモノに感じられる。そこは未知の存在である怪人の技術とか、そういう事で説明はつくのだろう。
それはいいのだが、果たしてそんな高度な建物に使われる防火扉で隙間などできるだろうか。災害用の設備など、特に外的要因を考慮して設計するものだろう。簡単に壊れるようなものではないだろうし、実際分厚かった。同じように、私が寝ていた寝台が開いたのもイレギュラーなのだろうか。
……原因として考えられるのは、やはり鳴り響いていた轟音。想定しないようなダメージを建物に受けている? 外部か内部か、発生した場所は分からないが、何かしら異常事態が起きているという事なのだろうか。
「……誰かが戦ってるとか?」
ヒーローが助けに来てくれて怪人と戦ってるとか、あるいは怪人の内ゲバって可能性もあるが、そんなのに巻き込まれては敵わない。普通に死ぬる。
と考えると、ここまで逃げて来たのは正解だったのかもしれない。近くの部屋に他の被害者がいたら危険だけど、そこまで気を回せる状況でもない。でも、救助に来てくれた人がいたら、場所を教える事くらいはしないと。
そんな事を考えつつ通路を進んでいると、やがて開けた場所に辿り着いた。相変わらず人の気配はないが、通路としてはここが終点だろう。なにか小さなホールのような空間の先に入口があり、その先に階段が続いている。上と下両方だ。つまり、分かれ道である。
どちらに行けばいいのか。そもそも正解があるとも限らないのだが、どちらが出口に近いのか、あるいは安全なのか。勘で選んでも構わないが、適当に選択していいものとも思えない。階段の脇に良くありそうな案内図や階層表示もない。困った……判断材料がない。この際、安全かどうかは別として、出口がどちらなのかくらいは分からないだろうか。
「……そういえば、窓がないよね。ここ」
寝ていた部屋を含め、ここまで外が確認できるような窓を一つも見ていない。単純に脱出路になるから作っていないだけなのかもしれないが、ありそうなのはここが地下であるパターンだ。換気用の口は必要だろうけども、それなら窓は物理的に作れない。
となると、出口に近いのは上だろうか。私の頭ではそれくらいしか思いつきそうにない。どうせ判断材料は少ないのだ。完全に勘に任せるよりは、少しでも可能性のありそうなほうに進むべきだろう。下るほうが楽そうだよね。とも考えたが、そんな要素で選ぶわけにもいかない。……私は階段を上り始めた。
……十数分後くらいにはもう後悔していた。
階段が長い。百段とか二百段とかいうレベルではなく、ひたすら続く階段で体力が限界に近付いている。
かといって、ここから戻るわけにもいかない。戻ったところで何も進展しない。ただの徒労に終わってしまう。というか、下るのでさえ面倒だ。なんかハイテクそうな建物なんだから、エレベーターでも設置すればいいのに。この際、エスカレーターでもいい。
なんでこんな目に遭っているのか、現状を嘆きつつ階段を上っていく。
そして、脳内の愚痴が怨嗟に変わり始めた頃、ようやく終わりが見えて来た。上に続く階段はないので、ここが一番上なのだろうか……と考えると、ひょっとしたら出口は近いのかもしれない。
階段を出た先は巨大ホールだ。一応誰かいないか警戒しつつ外へと出る。
「……は?」
人はいない。怪人らしき姿もない。しかし、それ以上に予想外なものがあった。ホールの中央。何か巨大な柱を守るように巨人が鎮座している。
「ろ、ロボット?」
アニメで見るような巨大な人型ロボットだ。これが動き出したら人間など簡単に踏み潰されるだろう。
動いたらすぐに逃げられるように恐る恐る近付いてみるが、触れるほどに近付いてもロボットはピクリとも動かなかった。
わずかに中身が露出している関節部などを見れば、謎のケーブルが見える。ここまで作り込んでいてオブジェという線はないと思う。
……動いてないのは、パイロットがいないから? となると、やはり乗り込む展開。まさか、ここからクリスちゃんの大活躍が始まってしまうのか。
「いやいや、ないない。どこから乗るかも分からないし」
いくらなんでもそんな展開はないだろう。戦うヒロイン的な憧れもないし。私が好きなのはどちらかといえばベタな恋愛モノだ。
とりあえず巨大ロボットは置いておいて……他に気になるのは中央の柱である。
「どう見てもエレベーターだよね、これ」
人間サイズで考えると少し大きいが、外壁が透明なので中に昇降用の籠があり、上へと続いているのが見える。階段と違って逃げ場もない密室になってしまうが、ひょっとしたらこれが出口なのかもしれない。しかし、そもそも動くかどうかも分からない。こういったものは認証のようなものがあるのが普通……。
「……開いたよ」
脇のスイッチのようなものに触れると、当たり前のように入口が開いてしまった。あまりにすんなり行き過ぎて、誘導されているんじゃないかと疑いたくなるほどだ。とはいえ、ここ以外に行ける場所は……ないとはいわないが、かなり限られる。
ならば、駄目元で乗ってみるのも選択肢としてはアリなんじゃないだろうか。……決してここまでの長い道のりを逆走したくないからとか、そういう事ではない。上に向かうのなら、出口に近づく可能性も高いし。
意を決してエレベーターの中に入る。入口は自動で閉まったが、開閉ボタンもあるので閉じ込められたわけではないだろう。実際、押せば普通に開閉できた。
開閉ボタンとは別に上へ向いた矢印ボタンもある。……ここで悩んでも始まらない。半ば何も考えないようにしてボタンを押し……たが、エレベーターが動く気配がない。やはり、何かしらの認証が必要だったのかと落胆か安堵か分からない感情が沸いたところで、急に内臓を置き去りにして体が持ち上がるような感覚に襲われた。気がつくとエレベーターは動いていて、すでにホールの天井近くだ。
「はやっ!?」
想像していたより遥かに速く上昇していく。これまで乗ったどのエレベーターでも比較にならないような速度だ。遊園地のフリーフォールを逆にしたような……いや、それより速い。
上昇を続けホールを抜けると、しばらくは何も見えない壁が続く。それがまた長い。この速度でこれだけの時間上昇しているとなると、私はどれたけ地下深くにいたというのだろうか。良く見れば入口の上のほうに10000とか表示されているが、これが地上までの距離だと考えると増えていくのは変だろう。……なんだろう、この数字。
そこで、いやーな予想が頭をよぎった。ここまでずっとここが地下であると考えていたが、この数字がもしも高度だったりしたら。一万……もう二万だけど、これがそのまま高度を表すメートル表記だとしたら宇宙まで行ってしまう。いや、大気圏がどれくらいの高度とかは知らないけど、いくらなんでも桁のいくつかは小数点じゃないだろうか。それともフィートとか? フィートってどれくらいだっけ? いやいや、そもそも高度と決まったわけでもないし……。
「……はへ?」
ここまで壁だった視界が急に開けた。透明な壁の向こうに見えるのは、眼下に広がる雲と巨大な大地だ。
「な、な、な、なんじゃこりゃーーーーっ!!」
あの数字はそのまま高度で正解なのだ。私は今、高度数万……フィートかメートルか良く分からないけど、そんな高さにいて、尚も上昇は続いている。
え、ちょっと待って。このままだと本当に宇宙へ行っちゃうんじゃ……。なんでこんな事になってるの? というか、なんで誰も止めてくれないの? なんでエレベーター動いちゃうの? この行動が問題ないわけはないと思うんだけど。普通、警備の人とか配置するでしょ。
「ひー、ひー、ふー」
落ち着け、落ち着くのよ、クリス。何か息が苦しいような気がするけど、錯覚だから。きっと、多分。
気圧だって多分問題はない。普通、こんな速度で急上昇すれば破裂しそうだけど、そうはなっていない。あ、実はこの壁は透明ではなくて、映像だとか? いやいや、どんだけ意味がない仕組みだ。……駄目だ。衝撃的過ぎて頭が回らない。
そもそも、ここからどう脱出しろというのか。エレベーターを壊したら多分死ぬ。落ちるとかそういう以前に気圧差で破裂する。多分、このエレベーターの内部は生身で利用が可能とか、そういう調整がされているのだ。
だとしたら、このまま大人しく乗っているしかない。……けど、こうしている内にもどんどん上昇を続ける景色に、平静でいられない。
……というか、どこまで上がっていくんだろう、これ。そろそろ地球の丸さが分かるくらいになって来たんだけど。
「地球は青かった」
まさか、生身で確認する事になろうとは……。ガガーリンさんもビックリだ。あれ、ガリレオさんだっけ? いやー、すごい貴重な体験してるなー私。このまま死んでも悔いは……あるよ、ありまくりだよ。
「うわーん、なんでこんな事にー」
意味分からないよ。なんで怪人に攫われてこんな事になってるんだよー。脈絡なさ過ぎるよー。
こんなもの造って何する気だというのか。用途がさっぱりだ。宇宙開発したいなら、人間無視して勝手に開発すればいいのに。
◆◇◆
「…………」
なんか、ふっつーに宇宙基地みたいなところに着いてしまった。
人類が宇宙基地を作ってるという話は聞いた事がない。せいぜい人工衛星レベルで、こんな大規模な施設を造る技術はないだろう。となるとやはりここは人間以外が造ったと考えるのが普通で、それはやはり怪人なんだろう。怪人すげー。
帰ろうにも、私が乗ってきたものを含めて複数あるエレベーターはどれも動かない。エレベーターの床を壊して管を伝っていけば地球に帰れるかもしれないけど、高度的に死ぬ。この建物に非常口があったとしても、その先はもう宇宙だ。生身では普通に死ぬ。運良く宇宙服が見つかったとしても、それで大気圏突入できるはずもない。燃え尽きて死ぬ。ひょっとしたら宇宙船とかあるかもしれないけど、操縦なんてできっこない。事故起こして死ぬ。……詰んでる。
諦めて誘拐した犯人さんたちに保護してもらえばいいのかもしれないけど、人っ子一人いない。どうなってんの。造るだけ造って放置してるって事? じゃあ、なんのためにこんなもの造ったの?
……いや、やはりここは人類滅亡したあとだとか。コールドスリープのせいで西暦五万年とかそういう時代に……。
などと、回答の出ない問題を考えながら施設内を歩く。宇宙が見えてしまう外壁部はなんとなく避けて、できるだけ内側に向けて。こういう施設の場合、真ん中あたりに重要施設があるのがお決まりだ。いや、全然自信ないけど、そんな気がする。だから、内側内側へと進む。案内図のようなものはないが、幸い通路はそう複雑なものでもないようで、ある程度は自由に進む事ができた。途中にドアもあったが、どれもフリーパスだ。防火扉で塞がれていたりもしない。
無人の施設をひたすら歩く。疲れたから休みたくもあるけど、それどころじゃない。
そうして体感的に一時間ほど歩いたころ、すごく重要っぽい場所へ辿り着いた。宇宙戦艦の艦橋というか、オペレータールームというか、なんかそういう場所だ。無数にモニターが並び、良く分からないスイッチ類がある。しかし、どれも動いていない。使う人がいないのだから当然なのかもしれないが、当てが外れたという事だ。
ここだけでなく上にも何かの施設があるようで、簡単な昇降台のようなものもあった。それは動かないので、少し離れたところにある階段で移動する。すでに半分、惰性で動いているようなものだ。ここまで誰もいない状況で、今更人がいるとは思えない。いやほんと、どうしようこれ。このまま餓死か孤独死のコースだろうか。
と、絶望的な思考に囚われながら階段を上がり切ると、そこは開けたホールだった。ここに来る前、あの変なロボットが鎮座していた場所に似ている。あそこよりはかなり狭いが、中央には同じようにエレベーターっぽい何かまである。
……あそこに鎮座していた巨大ロボットもいない……が、代わりになんとも形容し難い存在が鎮座していた。いや、地面に接地していないから鎮座ではない。吊るされている。
「ふごーっ! ふごっー!!」
……何故かパンツ一枚のおじさんが縛られて吊るされていた。一体どういう事なの……。誰もいないよりはいいけど、あまりに現実味のなさ過ぎる光景だ。
呼吸をしているところを見る限り生きてはいるようなので、会話ができるかもしれないと猿轡を外してみた。微妙に高いところにいるのと妙に複雑な仕様で手間どったが、とりあえず外れはした。ヨダレでばっちい。
「き、貴様、何者だっ!? ここには誰も来ないはずだ」
おじさんは妙に元気だった。そして何故か日本語だ。何者か尋ねたいのはこちらもなんだけど、残念ながら元からここにいたのはおじさんのほうで、私は確かに侵入者だ。
「いやあの……良く分からなくて」
「ククク、しかしここまで来てしまったなら仕方あるまい。この緊縛怪人エビゾーリが相手になってやろうっ! ただの人間といえども……」
そこで言葉が詰まった。……というか、このおじさん怪人なの? 普通の汚いおじさんにしか見えないんだけど。
「人間……あの、ひょっとして日本人ですか? 日本語喋ってるけど」
「え? あ、はい。こんなナリですけど」
ハーフだし、日本人に見えないというのは重々承知だが、最初から日本語で会話していたのに今更である。
「…………」
沈黙。
「あの……」
「いや、なんでもないです! 日本人に手を出すとか恐ろしい真似はしないので。というか、変に誤解されても困るんでどっか行って下さい!」
「えぇ……」
あまりの変わり身の早さに理解が追いつかない。なんで日本人だとこんな恐縮されるんだろう。
「くそーっ!! さてはマスカレイドの罠だなっ!? 私を殺す口実作りのために関係ない人間を送り込むなんて。なんて卑怯な奴だ!!」
「意味が分からないんですけど。……えっと、マスカレイドってヒーローの人ですよね? 銀タイツの……って、なんで震えてるの?」
尿意が我慢できなくなったとか……さすがに見知らぬ人相手に介護じみた事はしたくない。そのパンツに触りたくないし、どこにトイレあるのかも分からないし。
「いやその……とりあえず造ってみました的な、攻略に関係ない場所ならヒーローも攻め込んで来ないと思ったんですよね。そこまで重要視されてないと言ってもイカロスシステム自体は重要なわけで、守護者を置かないわけにもいかないらしくて」
「すいません、何を言ってるのかさっぱりです」
「攻め込む意味がない重要施設ならマスカレイドを相手にしなくて済むと思ったんだよっ!! よりにもよって、なんで庇護対象の日本人がここに来てんだよっ!? マスカレイド来ちゃうだろ、馬鹿っ!!」
「なんだか良く分からないですけど、ごめんなさい?」
何やら八つ当たりっぽかった。吊るされている状態で何を言っているんだとも思うが。……そもそもなんでこの人吊るされてるの?
「くそー、あの化物さえいなければ、人間如き瞬殺してやるのに。どっか行け、しっしっ!」
「どこか行きたいのはやまやまなんですけど、帰る方法が分からなくて。どうやって帰ればいいんでしょうか」
「そんなもの俺様が知るか!」
「あの……たとえば、後ろにあるエレベーターってどこに続いてるんですかね? ぐるんと方向転換して地球に戻るとか」
「これはエレベーターじゃなくイカロスだ。いいか、乗るんじゃないぞ。フリじゃないからな。なんか塔が掌握されてるっぽい事言ってたし、こんなもの動かしたらマスカレイドにバレる!」
乗っても意味はないらしい。それでなんでヒーローにバレるのかは分からないけど。……イカロスって聞いた事があるんだけど、なんだっけ? イカ……イカが足りない? そういえば海に行った時に買ったイカ焼き美味しかったな。
「えーと、とりあえず情報を整理すると、あなたはイカ焼きで本来ここに来た人間やヒーローを倒す役目だけど、何故か私は殺さない、でOK?」
「……イカではないが、概ねその認識で構わん」
なんか混ざっちゃった。
「いや、捨て身になればなんだってできるが、私は理性的な怪人なのだ。いや、最悪人質に使うという手も……」
半裸で吊るされてる状態なのに理性的と言われても。見た目、ド変態だよ。大体、この状況でどうやって戦うんだろうか。吊るされたままでは人質もクソもない。それこそ、陸上げされたイカのような。
「あと、別に人間死滅したわけじゃないですよね?」
「すまん、何言ってるのかさっぱり分からん。何故そんな結論に至った」
どうやらコールドスリープで数万年後という展開ではないらしい。銀タイツさんがどれくらい生きるか知らないけど、そこまで寝ていたわけじゃなさそうだ。
「今日の日付って分かります?」
「あ? 人間の暦ならたしかクリスマスとか。赤い服を着た変人が煙突から侵入する日だと聞いている。……おそらくそいつは怪人だな。きっと我々の先輩だ」
全然時間経ってなかった。普通に寝て起きたのと大差ない。あと、サンタさんは怪人ではない。
「というかだな、マジでどっか行ってくれません? このままだとマスカレイド来ちゃうでしょ……おおおおおっ!!」
「な、何事!?」
急に施設全体が大きく揺れた。ここが地上ならそのまま倒壊してしまいそうなほどに巨大な揺れだ。怪人さんも吊るされたままえらい揺れている。遊園地にある、揺れるアレみたいな感じで。
その揺れは収まる事なく断続的に続き、やがてけたたましいブザー音が鳴り始め、視界すべてが赤い蛍光色に包まれた。はっきりと分かる異常事態である。ひょっとして、この施設が攻撃されてる?
「や、やばい、マスカレイドが来た!?」
何もなかった場所に、突然テレビのモニターのようなものが現れる。そこに映っているのは、この施設の入口付近と思われる場所。そこで銀タイツさんと、ここに来る途中に見たようなロボットが戦っている。
え、この揺れってヒーローが暴れてる影響なの?
そして、更に巨大な揺れ。もう立っていられないほどに激しく振動し止まる事がない。立っていられない。
「う、うおおおおおっ!!」
「え、か、怪人さん?」
揺れに耐えきれなかったのか、吊っていたロープが千切れ、怪人さんが転がって行ってしまった。怪人さんはそのまま中央のエレベーターのようなところに収まり、勢い余って扉が閉まる。
え、どういう事なんだろう。あれに乗って移動するつもりなのかな……銀タイツさんから逃げたいとか? 怪人の脱出用だったら私に乗るなというのもおかしくないし。
「あ、あのー」
声をかけるが、返事はない。というか、何か喋っているようだけど防音されているのか伝わって来ない。なんだろ。逃げたいなら早く逃げればいいのに。
再び巨大な爆発音。近い……というか、もうこのホールだ。入口に目をやればバイクのような何かに乗った銀タイツさんがいる。
その姿を見て、エレベーターに乗った怪人さんの顔色が変わった。明らかにおびえている表情で、しきりにこちらへ叫んでいるように見える。
(はやく、開けろっ!! 逃げられない!!)
「……早く上げろ?」
エレベーターを? あ、ひょっとしてこちらから操作しないと逃げられないとか。……怪人だけど、ひどい目に遭わされたわけではないし、逃げる手伝いくらいしてもいいかも。
「えーと、これかな」
それっぽいボタンを押す。その瞬間、乾いたような音と共に怪人が猛烈な勢いで上昇していった。私を見て何か叫んでいたような気もするけど、感謝の言葉か何かだろうか。
「ようやく見つけた。なんでこんなところまで……」
銀タイツさんが近付いて来た。近くで見るとやっぱり変な格好だが、パンツ一枚で吊られていた怪人に比べれば遥かにマシだ。あと、やっぱり顔が濃い。近くで見ると余計に感じる。
「す、すいません。なんか良く分からない内にここまで来ちゃって」
「……まあいい。拉致被害者はク……君で最後だ。転送は使えないみたいだから、自力で帰るぞ」
やはり私を助けに来てくれたらしい。随分手間取らせてしまったようだ。
ひょっとして、私が起きた時に聞いた爆発音はヒーローさんが戦ってた音で、じっとしてればそのまま救助されたのだろうか。……なら、ここまでの逃避行はすべて無駄だったのかもしれない。わざわざ面倒をかけてしまったという事になる。
「ところで、さっきは何してたんだ? なんか変なのが上へ飛んでいったけど」
「え……と、ここに怪人さんがいて、すごく逃げたそうにしてたんで」
別に擁護するような関係でもないから正直に言う。
「後ろのそれで飛ばしたってわけか」
「や、やっぱりまずかったですかね?」
ヒーローにとって……というか人間にとっても怪人は天敵だ。それを逃したとなれば、あまりいい感情は抱かないかもしれない。
「いや、君がいいなら構わんが。……それって、エレベーターか何かかな? 上に何かあったっけ」
「多分。……怪人さんはイカロスとか言ってましたけど」
「…………」
銀タイツさんの顔が引き攣った。
「追いかけたりしますか?」
「い、いや、その必要はないんじゃないかなー。うん、君、すごいわ。お兄さん、びっくりだよ」
なんだか良く分からないが、ドン引きされている気がする。……一人でこんなところまで来てしまったのだから、その評価も当然といえば当然か。
「じゃあ、帰るから乗って」
「え、あ、はい」
てっきりエレベーターか何かで戻ると思っていたのだが、乗せていってくれるらしい。大きなバイクなのでうしろの部分に座ろうとしたら、しがみつけと指示される。
「ちゃんと掴まってろよ。落ちたら死ぬから」
「死……はい」
嫌な予感がした。ひょっとしてこの銀タイツさんは、このまま外に出て帰るつもりなんだろうか。……それって落ちたらどころか、普通に死ぬような。
しかし、やっぱり降りると言い出す前にバイクが動き出してしまう。それも、尋常じゃない速度で壁へと向かい、そのまま突き抜けた。
「ひょえええええええっ!!」
「あ、手離すな。このバイクの周りから離れたら一瞬で死ぬぞ」
「は、はいぃぃぃ~~!!」
なんだか良く分からないが、これだけ高速移動してもあるはずの重圧を感じない。このバイクにはそういう特別な機能でも付いているのだろう。つまり、手を離したり落ちたりしたら本当に死ぬ。
そして、いつの間にか眼下には地球が見えていた。
「地球は青かったってな。色々あったが、これは絶景だ」
「…………」
有り得ない光景に、私は言葉を失っていた。それはあまりに雄大で、美しく、日常から掛け離れた光景だったから。
銀タイツさんの腰へ手を回す。超人と呼ばれているわりにはその感触は人間のそれと同じもので、普通の男性と変わらないような気がした。
……あ、これヤバ。
それは極限状況における吊橋効果なのか。それとも、それ以外の何かなのか。幸い気付かれてはいないようだけど、鼓動が早まるのを感じる。
感じる体温のせいで、自分の中で湧き上がる感情の正体に目を逸らす事はできそうになかった。
……あんまり濃い顔は好きじゃないはずなんだけどな。
◆◇◆
そうして、何の影響もないまま、私たちは地球帰還を果たした。気圧差も温度差も速度による重圧も感じない。感じるのはただマスカレイドさんの体温だけだ。
海が見える。どこの海かは知らないけど、地球の海だ。
「さて、日本に戻るんでいいんだよな」
「あ、ははははい」
いきなり話しかけられてキョドる。それで自分の感情が考えている以上にヤバイ事に気付いた。
そのまま移動を開始する。あまりに早く過ぎていく風景に現実味がない。なにか特殊な加工をした映像を見せられている気分だ。
通り過ぎる土地に見覚えはない。どういう経路で移動しているのかも分からない。しかし視界に富士山が見えると、それが日本である確信が持てた。
……あれ、そういえばウチの親はアメリカにいるんじゃ。まあいいか、鍵は鉢植えに隠してあるし。
急にここまで考えていなかったような些細な事が思い出されるのも、帰って来た安堵からなのだろう。
日本列島のどこか、周りに何もない場所へと着地する。
「着いたぞ」
「え、は、はい。……って、ここどこですか?」
「山梨」
いや、そんなところに放置されても。ここから歩いて帰れというのだろうか。
「な、何故山梨県に……」
「ああ、ちゃんと送ってく人は用意してあるから……おーい長谷川さん」
マスカレイドさんが手を振る。その先にはどこにでもあるようなバンが一台、こちらに向かって来ていた。
バンが止まると、中から見知らぬ大人の男性が降りて来る。
「いきなり連絡が来た時は何事かと思いましたよ」
「あんまり市街に出たくないので。じゃ、この子頼みます。あー、状況の説明も含めて」
この人が送って行ってくれるという事だろうか。良く考えたら、この銀色のバイクで街に降りたら目立つってレベルじゃないか。
「了解しました。……マスカレイドさんは?」
「人類には早過ぎたバベルの塔を、元ネタ通りにぶっ壊してくる。……まあ、まだ十時間以上あるし、ある程度はバラバラにできるだろ。構造からある程度は計算してもらったし」
「はは、相変わらず豪快ですね」
なんか、すごい親しげだ。
割り込む余地のない会話が終わると、軽く挨拶だけしてマスカレイドさんはどこかへと飛んで行ってしまった。お礼も何も言う間もなく、すごいモヤモヤとしたものを残したまま。
「それじゃ移動しましょうか。家まで送ります」
「あ、はい」
長谷川さんと呼ばれた人に連れられて、バンに乗る。先ほどまでのバイクと違い、妙に日常を感じさせる乗り心地だ。
……私、状況に流されてばっかりだな。
「あ、あの……長谷川さんでしたっけ?」
「長谷川悠司です。ああ、名刺渡しておきましょう」
信号待ちの間に軽く渡された名刺を見る。なんの変哲もない、ただの名刺だ。
「服飾業の人ですか?」
アパレルって奴だろうか。ヒーローとは関係なさそうな仕事である。……まさか、あのタイツはこの人がデザインしたとか?
「そういう事になってます。服の事なんてさっぱりですけどね。でも、銀行の事なら得意ですよ」
そんな人がなんでアパレル業に就職しているんだろう。会計事務でもないみたいだし……書いてある肩書は営業だ。
「落ち着いて来たみたいですし、今回の事について説明しましょうか。家まで結構距離ありますし」
「あ、はい」
ぼんやりと名刺を眺めていたら、長谷川さんから今回の事件に関する顛末の説明が始まった。
簡単に言ってしまえば、怪人が起こした大規模誘拐事件に巻き込まれたという話だ。長期間行方不明だった人もいたけど、犠牲者もなくヒーローが助け出してくれたらしい。あのマスカレイドさんだけじゃなく、世界中のヒーローが頑張ったとか。 そこまでだったらまだ理解可能な範疇だが、それに伴ってまったく新しい大陸が出現したとの事。
「新しい世界地図見ますか? 有志が作成したものなので正確とは言い難いですが、なかなかに衝撃的ですよ」
「は、はぁ……は?」
置かれていたファイルから抜き出された地図を見てみれば、アメリカとヨーロッパの間にある海の大部分が埋まっていた。まるで子供が落書きで描き足したような巨大な違和感がある。……こんなものができた?
「あなたはつい先ほどまでその大陸にいたんですよ。詳細はほとんど聞いてませんが、拉致被害者をまとめて収容する施設があったとか」
私……私たちが捕らえられていたのはその大陸の中心にある塔らしい。それが宇宙まで続いている事は長谷川さんも知らなかったらしいが、とにかく今回の事件が終わっても問題が起こるだろうとの事。
どんな問題が起きるかはさっぱりだが、私的に重要なのは噂や明日香の体験話だけでなく、ヒーローや怪人が現実のものとして感じられるほどに距離が縮まった。……その部分だ。
ほんの少し前、明日香とバスの停留所で『またヒーローが出たんだってねー』と話していた頃が懐かしく感じるほどに。
長いドライブを経て、見慣れた風景が見えてくる。私が生まれ育った街だ。カーナビの表示で見ても間違いない。
「ともかく、あなたもこれから色々あるでしょう。警察の事情聴取もあるでしょうし、マスコミが群がってくる事もありえます」
「……言われてみれば、ありそうですね」
明日香のように巻き込まれた大多数の内の一人というわけではなく、誘拐された被害者だ。しかも、長谷川さんの話によれば名前もバッチリ公表されてしまっているのだという。
やだな。こちとら普通の女子高生なのに。変な事に巻き込まれないといいけど。……でも、今日の事以上に変な事はさすがにないか。
「何か困った事があれば連絡を下さい。さすがにマスカレイドさんを呼び出すとかそういう権限はありませんが、ある程度は力になれます」
「あの……結局あなたはどういう人なんですか?」
結構長い事話をしていたが、未だに立ち位置が掴めない。
「ヒーローの協力者です。といっても大した権限はありませんけど、怪人被害者のケアくらいは仕事の内……なんじゃないですかね。自己裁量ですが、役に立つっていうアピールにはなるかな」
曖昧である。とりあえず、服飾業の人ではないという事は分かった。
そうしている内に、家の前まで着いた。車が止まる。
……本当になんとなくだが、このままドアを開けて降りていいものかと逡巡していると、長谷川さんが話し始めた。
「世の中はろくでもない奴ばっかりです。今回の騒動も、飯の種か笑い話のネタ程度にしか捉えない人も多いでしょう。そういう輩があなたを直接攻撃してくる可能性は高い」
容易に想像できるのは主に精神的な攻撃。明日香が言う限り私はメンタルが強いらしいが、それでも一介の女子高生にしてはだ。社会の悪意は容易に境界を飛び越えてくるだろう。そして、ここまで話が大きくなると物理的な攻撃だって……。
「めっちゃ不安なんですが……その、長谷川さんなら、そういうのもなんとかできるとか」
「私には無理ですね。なので、そういう時はマスカレイドさんを頼って社会的制裁に踏切りましょう。そういうの得意らしいんで」
「社会的制裁って……あの、ヒーローなんですよね?」
「ヒーローですよ。ただ、私たちの常識で考えるような都合の良い存在ではないという事は覚えておくべきでしょうね」
字面から想像できる通りの存在ではないと。いまいち頼りになるのか分からないけど……でも多分、信用してもいいんじゃないかと思う。そう思える体験だったのだ。
「しかし、味方です。余程不義理を働かなければ、私たちを守ってくれる。その境界は分かりにくいですが、要は変にチキンレースなどせず、その境界に近づかなければいい。助けられたら感謝して、変な悪態つかないだけで彼らは人の味方でいてくれます。……あなたもそうだったでしょう?」
「はい」
その言葉には、色々な意味合いが含められている気がした。
きっと長谷川さんも私と同じで、ヒーローに助けられたのだろう。彼がこうしているのもその結果なのだ。そんな気がした。
◆◇◆
「ただいまー」
誰もいない家へと帰還する。とりあえず施錠だけして、自分の部屋に戻って……上着すら脱ぐのも億劫になって、そのままベッドに倒れ込んだ。
両親はまだアメリカだろう。スマホがないので家電で電話して……ニュースになってたっていうから明日香や学校にも連絡しておいたほうがいいかな。……すごく、面倒臭い。
でも、そんなに悪い気分じゃなかった。突然で、大変な事な事ばかりだったけど、今日の事は忘れられない思い出になる。そんな確信がある。
私は……多分、今回の事で変わらずにはいられない。私だけでなく世界もそうだ。常識が常識でいられなくなった中で、先の見えない時代を迎える。
その中であの銀タイツさんが何をするのかは分からない。だけど、今日のように躊躇なく助けに来てくれるような、少なくとも見捨てられるような生き方だけはしないようにしよう。
……そう思った。
コメントを残す