引き籠もりヒーロー第3巻 校正用本編

◇◆◇第10話「浮上する悪意」

 夢を見た。
 それは俺がまだ本格的に引き籠もりを始めていない頃の夢だ。当時はまだ引き籠もりの実行どころか具体的な計画すら立っていない、文字通り手探りの状況だった。
 小学生の身分で引き籠もりをするには問題が多過ぎる。義務教育というだけあって、通学は義務だ。一日二日……一週間くらいなら上手い事誤魔化して病欠する事も可能だったが、何度も使える手ではなかった。俺の魂胆はバレている上に、過去の実績からしても純粋に病気だと信じてくれる人も少ない。
 クラスで虐めがあるという理由を捏造しても簡単にバレてしまった。『虐めがあったとしても、アレを対象にする奴はいないと思うんですがね』という教師の言葉だけで終了だ。隣のクラスの佐藤君は不登校になったというのに。解せぬ。
 成績が良ければという理由で交渉しても後が続かない。最初は良かったが、クリアする度にハードルが上がるばかりで、すぐに限界が訪れた。一日二日の休みを獲得するためだけに、全国にいる勉強が趣味のような連中と張り合うのは割に合わない。というか、そもそもそんなにテストの機会もない。
 夢を諦めるつもりはないが、小学生……いや、学生の時点で引き籠もるのは不可能だ。ここはもっと長期的な視点が必要だと、未来の引き籠もりライフに向けたロードマップを構築し始めた。そんな頃の夢だ。

「にいちゃん、なにしてんのー」
「……なんだお前」
 自室で輝かしい未来に向けて必死にプランを練っているところに、謎の子供が侵入して来た。
 見覚えはないし、心当たりもない。しかし、物怖じしていないところを見ると不法侵入というわけではなさそうだ。年齢的に見るなら多分妹の友達か何かだろうが、変わった点が一つ。……何故か金髪である。昨今の日本では国際化が進んで外国人は珍しくもなくなっているが、妹はああ見えて国際派なのだろうか。幼児の癖にやるな。
「妹の友達か何かか?」
「いもうと?」
「明日香っていう、お前と同じくらいの」
「おー、あすかは知ってるー。にいちゃん、あすかのなんなのさー」
「今妹って言っただろ」
「そっかー」
 ……どうしよう、この子アホの子かもしれない。
 頭悪そうに見えるのは日本語が母国語ではないからという可能性も考えたが、普通に喋ってるし。
 俺がこれくらいの頃はどうだっただろうか。幼稚園の頃はすでに引き籠もりという高貴なる夢を見てそれに邁進していたから、少し大人びた子供だったような気もする。でも、明日香もちゃんとしてるな。我が妹ながら不気味なくらい落ち着いていると感じるくらいだ。比較対象がアレなだけで、実はこれくらいの年ならそこまでおかしくもないのか? 良く分からん。
「あ゛あ゛ー」
「おい、鼻垂れてるぞ。ティッシュはそこにあるから……おい、すするな」
「ティッシュどこー?」
「ああもう」
 どういうわけか幼児の鼻をかんでやる羽目になってしまった。何故、俺は突然侵入して来た名前すら知らない謎の幼児の面倒を見ているのか。
「……で、お前の名前は?」
「くりすー」
 クリスか。外国人かハーフかしらんが、良くある名前だ。最近の傾向だと日本人でもいない事はないかもしれない。キラキラネームとして見るなら、かなり大人しい方ですらある。隣のクラスには俺と同じ英雄でヒーローという読みの奴もいるからな。彼が不登校になってしまったのは名前が一因かもしれない。
「普通に考えるなら、クリストファーかクリスチャンってところか」
 ただのクリスって線もあるが、アホの子みたいだから自分の名前が略されてても分からなそうだ。
「あすかはクリスちゃんって呼ぶぞー」
「それは多分意味が違う」
 ……というか、ちゃん付けか。髪は短か目だし、短パンにシャツ、アホ面に鼻タレとそこらへんのクソガキと変わらんから勘違いしてたが、ひょっとしてこいつ女の子だったり?
「お前、ひょっとして女なのか?」
「ちんこは付いてないぞー」
「女の子がちんこ言うんじゃありません」
「わはー」
 どうやら女だったらしい。幼児の癖に異性を家に連れ込むとは、妹ながらマセたガキだなと思っていたんだが。そうか……これが幼女か。……世の中のペドコンさんたちは、一体こんなのの何がいいというのか。
「それで、あすかのにいちゃんはなにしてんのー?」
「ああ……クソガキにはまだ難しいかもしれんが、輝かしい未来に続く道を模索していたところだ。分かり易く言えば夢ってやつだな。お前に夢はあるか?」
「えーっと、かーちゃんみたいにバインバインになりたい!」
 子供だから世界平和とか大金持ちとか言い出すかと思ったのに、意外に即物的で現実的な回答が帰って来た。
「お、おお、そうか。頑張れよ。外国人かハーフか知らんが、素質はあるだろう」
「へへー」
 鼻タレだが造形的にはかなり整っているし、将来的には期待ができるはずだ。ただ、バインバインと言っても腹までバインバインになってしまう可能性があるから注意が必要だろう。
「ちなみに俺の夢は引き籠もりになる事だ」
「ひきこもり?」
「まあ、クソガキであるお前には分からんだろう。古くは日本の最高神天照大神に由来する最高位の職業だな。俺の場合は、天岩戸の前で祭り始めても出て行く気はないから、ある意味では太陽神以上とも言える」
「なんか良く分かんねーけど、ひきこもりすげー!!」
「わははー、そうだろうそうだろう」
「わははー」

◆◇◆

 気がつくと目の前にはミナミの顔が映った宙空ウインドウがあった。どうやら、いつの間にか寝落ちしてたらしい。作業中のミナミが気付いていないようだから、おそらく数秒から数十秒程度の事だろう。
「……そういや、あんなんだったな」
 ロクに接点もないから忘れていたが、クリスがアホの子だったというのを思い出した。
 ……しかし、天照大神以上ってなんだよ。俺もアホじゃねーか。いつもの自室が天岩戸だとでも言うつもりか。
『あんなん?』
「悪い、ちょっと寝落ちしてたみたいだ。昔の夢を見てた」
『珍しいですね。というより、マスカレイドさん寝る必要あったんですか? 疲れて寝落ちする印象は皆無なんですけど』
「必要あるかっていうと微妙なラインだな」
 もちろん普段なら引き籠もりらしく不規則でも普通に寝ているが、それは慣習的なものによるところが大きい。しかし、肉体的疲労は無視しても問題ないが、精神的には色々疲労が溜まる。無理すればいくらでも活動可能とはいえ、あまりに長時間寝ていないと特に思考面でのポテンシャルが落ちるのである。やはり睡眠というのは人間にとって必須なものなのだろう。
 夢を見るのは脳の情報整理という側面もあるから、アホの子クリスを思い出したのはそんな理由なのかもしれない。
 今現在どんな感じで成長しているかは知らんが、あの調子で育ったならドジッ子というのも頷ける。妹はなんだかんだで面倒見がいいから、目が離せないままずっと友達のままでいるだろう。……いや、クリスがアレだから面倒見が良くなったという線もあるな。
『ここのところ、微妙な緊張状態が続いてますからね。いつ問題が起きるかって考えると、疲労が溜まっても当然というか』
「まさか、こんな長期戦になるとは思ってなかったよ」
 誘拐する怪人相手には多少の時間が命取りだから常に出動可能な状態を保っておく必要があると、この一連の問題が解決するまでは睡眠は最小限に留めているのだ。
 この体制に意味があったのかというと微妙なところではある。確かに二度ほど誘拐能力を持った怪人が日本に出現したが、どちらも時間的な余裕を持って討伐できたし、それが寝起きになったとしても大して問題はなかっただろう。
 しかし、根本的な解決ができていない上に、未だ誘拐目的の怪人は出現しているのだ。緊張を解くわけにもいかない。
 ずっと緊張させて精神を摩耗させる罠かとも思ったが、俺以外のヒーローはそこまで神経質にはなっていない。誘拐という問題は大量にある怪人被害の一端に過ぎず、普通なら死者や重傷者の問題のほうが遥かに大きいからだ。これが長期的な罠だとしたら、俺だけを狙い撃ちにしたものだろう。……いや、立場上ないとは言えないな。
 しかし、いくらなんでもそろそろ解決したいところである。例の誘拐事件が発覚したのが夏が過ぎた頃で、今はもう年末だ。外に出ないからあまり実感はないが、世間はもうクリスマスである。

「サンタさんサンタさん、俺にもプレゼント下さい」
『そんな事言ってると、サンタの怪人が出てきそうですね。由来元的に、スカンジナヴィアあたりが優先されそうですけど』
「夢も希望もないな」
『逆に子供の夢を壊していきそうです』
 それが普通に有り得そうだというのがまたひどい話である。
『去年の話ですが、アメリカで七面鳥の怪人は出たみたいですよ』
「そっちは食われまくってるから、仕方ないんじゃねーかな」
 そら人間に対して逆襲もするわ。家畜の場合、数は増えているから生物学的に見て勝ち組ではあるのかもしれないが、奴らも増やしてくれてありがとうとは思わないだろう。動物愛護団体がハッスルしてしまいそうなネタである。わざわざ自分を食わせようとするタコの怪人もいたわけだが、アレがスタンダードとは考え難いし。いくら怪人でも、『よくも仲間たちを!』とか言われたら罪悪感で食う気がしなくなる。
「でもまあ、寝落ちしたのは緊張状態が続いてるからとかじゃなく、単純に頭を酷使しているせいだろうな」
 目の前の<マスカレイド・ミラージュ>を見る。ここのところ、俺の脳を痛めつけてくれているのがこいつだ。
 来たるべきイベントに向けて何か準備ができないかと考えた場合、できる事は俺本人のパワーアップや装備の充実に限定される。その流れで《マスカレイド・インプロージョン・メルトアウト》を習得してみたり、色々ヒーロー武器を試してみたりしたわけだが、その中で最も面倒なのが<マスカレイド・ミラージュ>の改造だった。改造と言っても大した事をするわけではなく、ただ単に追加パーツを付ける程度のものではあるのだが、これが思った以上に難物なのだ。
『だから自分でやらなければいいのに』
 ミナミはそんな事を言うが、あまりその手は取りたくなかった。
 パーツ代に加えて改造費がかさむという理由もあるが、専門の業者?に頼んだ場合はその期間が問題となるのだ。いつイベントが発生するかも分からない状況で、数週間も<マスカレイド・ミラージュ>を手放すわけにもいかない。今後の事を考えるなら、手間はかかろうが自前でなんとかできる体制を作っておくのが正解だろう。
「実際、マニュアル読めば取付け自体は難しいもんじゃないんだがな……」
 元々パーツ追加前提のシロモノだ。専用のスロットが用意されていたり、ケーブル類……っぽいものも最小限になっていたりと、そこら辺の配慮は行き届いていて、バイクや自動車の改造経験者なら問題なく作業できる程度には簡単だろう。俺はどちらも経験はないが、そんな俺でも一日あれば換装とチェックまでは終了する程度の難易度である。パーツを取り付けた後に、それが正常に接続されているかチェックする機能まで付いている親切設計なのだから。
 しかし、如何せん完全に未知な技術の集大成だから、ちゃんと理解しようとすればキリがない。
 どうも、この追加パーツ類も一箇所で造られているわけではないっぽいという問題もある。本体同様、メーカー名などの刻印はないが、型番や商品面に癖があるのだ。誤差程度ではあるが、相互で連携するような部分は同一メーカーっぽいパーツのほうが相性はいいような気もする。
『とりあえず、あるパーツ全部乗せとくってわけにはいかないんですよね』
「スロットは用途が決まってるし、色々干渉するからな。Webブラウザのアドオン全載せしないようなもんだ」
『検索バーまみれになってページ見えないんじゃしょうがないですからね』
 動けばいい、と妥協するなら大した問題ではない。適当でもある程度はなんとでもなる。ついでに、エネルギーは主にマスカレイドのヒーローパワーなので燃費効率は無視していい。だが、細かい取り回しや反応にはどうしても違いが出て来てしまう。念のためといって使わないパーツを組み込んでいたら、その分ポテンシャルは低下してしまう。
 戦闘力では群を抜いているマスカレイドだが、作戦内容によってはそのわずかな差が致命傷になる事だってあるだろう。降下してくる爆弾怪人を迎撃しようと思ったら、ちょっと方向がズレてましたって事だって有り得るのだ。
 色々追加パーツは買ってみたものの、常時使い続けるようなものは少ない。”追加”パーツというだけあって、<マスカレイド・ミラージュ>はそれだけで一応完成しているものらしい。
 ノーマルの状態でも十分強いし便利なのだから、そんな事する必要はないと言われるかもしれないが、そういう問題ではないのだ。
『カタログにあるからって、手当たり次第買うのはどうかと思うんですよね。……実際、ドリルとか使います?』
「お前……ドリル舐めんなよ」
『でも、何かに穴開けるならそのまま突進すればいいし、<マスカレイド・ミラージュ>を通して《マスカレイド・インプロージョン》も使えますよね?』
「車体の前に付けてあったら、怪人がビビるかもしれないだろ」
『い、威嚇目的ならまあ……。フォルムは怖いですし』
 男のロマンという事で、ほぼ無意識の内に購入してしまったドリルだが、正直なところ使い道はなさそうだった。武器としては確かに強力なものだが、マスカレイド自身の戦闘力を基準にすれば意味のないシロモノといえる。
「現実的に考えて、常時付けとくのはロケットブースターくらいだな。エネルギー溜めてる間ヒーローパワーを余計に消費するのはあってないようなものだし、最大速度は勿論、初速が跳ね上がるのは大きい。多分、月だって射程圏内だ」
 これと干渉しなければ遠距離攻撃用の連装ビーム砲もアリなんだが、どちらか一つといわれたらこっちが重要である。
『普通の怪人相手だと、どう考えてもオーバースペックですけどね』
「それを言うなら<マスカレイド・ミラージュ>自体オーバースペックだ」
 こいつの役目はあくまでマスカレイドですら不安が残る作戦に投入する事なのだから、用途に応じて換装するのは間違ってはいない。だから、ドリルにだって出番はあるはずなのだ。決して無駄遣いではない。……いざとなれば無駄に怪人を穿つ拷問用にでも使おう。

◆◇◆

「というわけで、くれぐれも誘拐には注意するように」
「……なんかそれ、ここに来る度に言われてる気がするんだけど」
 我が物顔でベッドに寝そべりながら漫画雑誌を読む妹に注意を促すが、あまり真剣に聞いてくれない。
 仕方ないねん。想像していた以上に状況が動かないんだから。
「まあ、怪人に限らず誘拐は怖いから発信器は持ち歩いてるけど。……この万年筆、異様に使い易いし」
「そりゃ元になった万年筆が高級品だからな」
 目を剥くほどに高価というわけではないが、値段もそれなりのものだ。俺たちの親世代なら一本くらい持っててもおかしくはないが、それでも高校生が普段使いするようなものではない。他に用意したアクセサリー類も同じように決して安物ではない。バラ撒く必要があったから、わざわざ質屋に持って行ってどうこうって値段でもないが。
「そういう大きな動きがあるにしても、なんか予兆とかないものなの? 前みたいに電波ジャックして事前告知とか」
「一日前ならありそうだがな」
 そもそもイベントをやるとも限らないのがアレだが、その可能性は除外するとして。実は何も関係ありません、残念でしたーって馬鹿にされたら泣くかもしれん。
「クリスマスとか年越しに合わせてくるとか。でも怪人に記念日は関係ないか」
「関係なくもないが……」
 むしろ、何もない日よりはそういった記念日のほうがありそうだ。……ヒーローが参加し易いように、休みの多い年末年始とか? 変な感じだが、ないとも言い切れないな。このあたり、直接の関係者じゃないと説明が難しい。
「ちなみにお前、クリスマスとか年末年始の予定は? というか、もう冬休み入ってるんだっけ?」
「今日から冬休み。……これだから引き籠もりは」
 すまんな。どうしてもそういうスケジュールには疎くなるねん。
「もう明日だけど、イブはバイト入れたよ。人生初のバイト」
「お前、母ちゃんの取材の手伝いとかやってただろ」
「身内の手伝いとはまた違うかな。いや、引き籠もりに言う事じゃないけど」
 失敬な。バイトくらいした事あるっちゅうねん。どれも短期だが。
『団欒のところをすいません。緊急事態です』
 と、唐突にPCにミナミの顔が浮かぶ。……珍しいな。明日香がいる時は頑なに出てこなかったのに。
「あ、どうも姉ミナミさん」
『あ、はいどうも』
 お互いどう思ってるのか良く分からんが、妙に固い。間に立ってると微妙な気分にさせられる。ここは俺の部屋なのに、何故こんな気分を味わわされているのか。
「何か動きあったのか?」
『動きというかなんというか……怪人の拠点らしきモノが出現しました』
「らしきモノって……随分とまたあやふやだな。声明があったとかじゃないのか?」
『今のところはないです。ただ、あまりにスケールが大きいので、怪人の仕業以外に考え難い状況でして』
 つまり、誰でもそうだと分かるものって事か。
『一応、テレビでも速報を流してます。情報は錯綜してるみたいですが』
 緊急事態というわりには落ち着いているのが気になるが、とりあえずテレビを点けてみる。
 映るのはどれも普通のテレビ番組だ。怪人がジャックしていたりもしない。ただ、ほとんどのチャンネルで速報がテロップ表示されていた。少し前までだったらこうした速報もなかっただろう事を考えると、日本も少しは変わったのかもしれない。
「……大陸?」
 細かい文章の違いはあるものの、どのテロップでも表示されているのは謎の大陸が出現したという内容だ。詳細は分かっていないのか、非常に簡素である。
『つい三十分ほど前、北大西洋に謎の巨大大陸が出現しました』
「……巨大空母とか島ではなく?」
『大陸です。正確な大きさは分かりませんが、おそらくオーストラリア級……一瞬にして世界地図が書き換わりました』
 すぐに出せる映像はないのか、PCの画面に世界地図が表示され、出現したという位置に大雑把な丸が付けられる。実は地球儀のほうは更新されているのかとも思ったが、こちらは変化なしだ。
『今のところ、地震や津波の影響はないようですが……このままこの大陸が居座るなら、確実に海流や気候への影響が懸念されます』
 船の航行にえらい影響を受けそうだな。特にアメリカ-ヨーロッパ間。アフリカもか。
「あ、あの……姉ミナミさん? そこが怪人の拠点って事なの?」
『まだ確定じゃないですが、おそらくは。ここまで大規模なら、最低でも関与はしているはずです』
 これが、イベントの舞台なのだろうか。それっぽいが。
「思ったよりはまともだったな」
「えっ? ま、まとも? 大陸だよ!?」
『想定していた中ではかなり大人しい部類ですね』
「あ、あれ、私が変なの?」
 明日香の反応は別におかしくはない。普通の人間はいきなり未知の大陸が現れたらなんて想像しない。ただ、俺たちが有り得ると考えていた中では比較的常識的なものだろう。なんせ物理法則上絶対にないと言い切れないものだ。今回はいきなり現れたようだが、巨大な噴火か地殻変動で生まれる可能性がない事もない。異次元や宇宙と違って、行こうと思えば人間でもすぐ行ける場所でもある。航路の問題もあるから船だと危険かもしれないが、飛行機を飛ばせばすぐだ。
『多分ですが、追加で何かありますね。これだけで終わるとは……』
「ああ……ある、だろうな」
『何か気になる点でも?』
「……いや」
 これは……どうなんだ? なんでもアリな怪人が用意する舞台として考えられる範疇のものではある。身近に感じられる場所であり、インパクトもあるという点では事前に想定した内容とほぼ一致する。……イベントとしてはそれでいい。しかし、普通過ぎる。
「これ……マズイんじゃねーか」
 最悪のケースが頭をよぎる。それは、ただイベントという括りで考えていた俺たちの思考の外にあったものだ。
 ここで何かしら怪人のイベントがあるのはいいし、おそらくあるんだろう。誘拐された人たちを救出するイベントになる可能性も高い。問題はその後だ。この大陸がこの場所に残り続けた場合に起こり得る事……。詳細が分からない状況では判断のしようがない。だが、これまで培ってきた危機感が警鐘を上げている。
 ……このイベントを馬鹿正直にクリアしてしまっていいのか?
 そうして俺の中で疑念が生まれた直後、テロップの表示されたテレビが突然切り替わった。……多くの者が予想していた怪人の告知だろう。

◆◇◆

『人類の皆さん、こんにちは~っ!!』
 いつかと同じ電波ジャック。手口はまったく同じだが、映っている怪人は以前と異なる。
 画面に映っているのは見た目だけなら人間の少年だ。目に付く箇所に変異したような部位は見当たらない。パッと見は、小学生ほど。非常に整った顔立ちは東欧あたりに多いスラヴ系のものに見える。
『ウチの怪人たちと仲良く遊んでくれているかな~!! あ、仲良くない? いやー、すまない。憎まれっ子は世に憚っちゃうんだ。でも、そろそろボクたちの存在を認識してくれた事と思う。いくら馬鹿な虫けら同然の存在とはいえ、それくらいはね』
「……なんだこいつ」
 異様に気安く、満面の笑みで語りかけてくる少年。しかし、目が一切笑っていない。不気味な事この上ない。
『あ、でもー、味方のはずのヒーローをぶっ殺しちゃったりなんかしちゃったりするくらいだからー、やっぱりヴァカなのかなー? いいぞ、もっとやってボクたちを楽しませてくれ! 人間同士で憎しみ合い、傷付け合い、ついでに愛し合ってくれればボクたちは満足だ。ついでにヒーローも間引きしてくれると間違って感謝しちゃったりするかもしれないぞ』
 そんな異様な宣言をただ眺めていると、不意に音が鳴った。……どうやら明日香のスマホらしい。
「わ、わわ、ごめん。というか電波繋がるんだ、ここ」
「電話するなら一応自分の部屋に戻れよ」
「あ、うん。……クリス? こんな時になんだろ」
 鼻タレか。というか、こんな時だからじゃないだろうか。また電波ジャックされてるからテレビ見ろとか。
 明日香は怪訝な顔をしながら、クローゼットを開けて自分の部屋へと戻った。
『今日はそんな愚かな君たちに朗報だ。もう気付いている人もいるだろうけど、北大西洋に我々の拠点を転送した。いつかの爆弾同様、ここにヒーローたちを送り込んで血みどろの殺し合いをしようじゃないかっ!!』
 こちらの状況など知らない怪人は、変わる事なく宣言を続ける。内容はやはりイベントの事だ。拠点と言っているのも、ミナミの報告にあった北大西洋の大陸の事を指すのだろう。相変わらずスケールのでかい連中である。ついでにいうと、いやらしい連中でもある。
『え、ヒーローと怪人だけで勝手に戦ってろって? 嫌だなあ、親愛なる人間諸君を蚊帳の外に置くわけないじゃないかー。ちゃんと、我々がコツコツと攫い続けた人間三百人を人質として用意したから、ヒーローたちにこの人質を助けてもらうようお願いするんだ。ああ、もちろん名簿は各国家の首脳陣にバラまいてあるから、どんな人質がいるかも分かって安心だね。ま、別に見捨てても構わないんだけどね』
 チラリと目を向けると、画面の中のミナミが頷いた。
『確かに各国の政府や公的機関に文書が送付されているようです。ほとんど無差別で』
「中身は?」
『アレの言う通り各言語の名簿のようですね。過去に誘拐された人が不確定なので完全な照合は難しいですが、カルロス氏の息子さんの名前も記載されてます』
 ビンゴか。大体予想通りの展開になったというわけだ。
『大丈夫、これはルールの定められたゲームだ。ルールを無視して、賞品である人質をどうこうしようなんて気はないから安心してくれ。彼らはいわば捕虜だからね。人間とヒーローがちゃんと信頼関係で結ばれていれば難なく救出できるよ。人間同士の争いに利用したとしても、優しいヒーローならきっと助けてくれるさ! ははははははっ!!』
 ウザい奴だ。政府にぶっ殺されたヒーローの存在を示唆している時点で、信頼関係が築けていないと言ってるようなものなのに。
『ああ、そうそう。今回用意した拠点は我々怪人の橋頭堡だ。ちゃんとイベント後も残り続ける。特に交流するつもりなんかないけど、ここに怪人の国を建国したと宣言させてもらおうか』
「建国ね……」
 ああくそ、大体狙いが分かってしまった。おそらく、大陸はエサだ。奴らは俺たちヒーローが大陸にいる怪人を皆殺しにして、人間の勢力圏にする事を望んでいる。……いや、違うか。結果はどっちでもいいのだ。俺たちに取捨選択を突き付けて楽しんでいるのだから。
『これを見ているであろう各地のヒーロー諸君は、この言葉の意味をよぉーっく考えた上で行動するように。……特に怪人討伐実績の多いアメリカ合衆国の連中やマスカレイド』
 なんか直接名前で指定されたぞ、おい。
『な、名指し? ……そりゃまあ、討伐実績なら群を抜いてますけど』
 実績考えたら分からんでもないが、あまり目立つような事は避けて欲しいんだけど。なんで大量にいるアメリカの連中が一括りで俺だけが個人名なんだよ。……アレか? 日本は俺一人だからまとめようがないとか、そういう事情じゃねーだろうな。ぼっち馬鹿にすんなよ。
 その時、背後で何か大きな音がした。……先ほど明日香が出ていったクローゼットだ。中でこけた?
 しかし、いつまで経ってもクローゼットから出て来る様子がない。中で気絶でもしているのかとクローゼットを開けてみれば、そこには当たり前のように明日香がいて……蹲っていた。
「どこかぶつけたのか?」
「あ、あああ……」
 様子がおかしい。顔が青ざめ、こちらを見る表情は先ほどまでのふてぶてしいものではなく、何かに縋る弱者のものだ。
「何があった?」
「お、お兄ちゃ……く、くり……」
 栗? いや、この流れならクリスか。普通に考えれば、電話をかけて来たクリスに何か聞かされたという事なのだろうが……すごく嫌な予感がする。こいつが素でお兄ちゃんなどと言い出すあたり、碌な事じゃないだろう。
「クリ、クリスが……攫われたって」
「……は?」
 一瞬、言われた内容が理解できなかった。
『これは怪人が本格侵攻を開始する記念イベントだ。決して相容れない者同士、決して分かり合えない者同士、せいぜい楽しもうじゃないかっ!!』
 背後からは変わらず、ムカつく少年怪人の声が大音量で流れている。しかし明日香から告げられた言葉のせいか、それもどこか遠く感じられた。湧き上がる感情は怒りや憎悪ではなく、不安や動揺でもない。疑念だ。
 クリスが攫われた? ……どうやって?

2023年1月15日

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