趣味の延長でしかなかった同人活動。
ひょんな事というには大事な事件によって意識改革する事になった腐女子は新PN「隣のザリガニ」として活動を開始する事になる。
● キャラクター紹介
PN隣のザリガニ
大家さん
腐食怪人Bリンクス
リングに散ってしまった蝶
-ザリガニチャレンジ-
私が本格的に同人活動を始めたのは大学に入ってからだ。
中学の途中まではオタクですらなく、せいぜい友達から借りた少女マンガを読むか、少し年の離れた兄が昔集めていた少年マンガを借りて読むくらい。別段特別なものではなく、タイトルを出せば誰でも知っているような、オタク界隈で好きな作品といえば素人さん扱いされる類の有名作品しか触れる機会がなかったのだが、ある日運命とも呼べる作品と出会ってしまったのだ。
深夜アニメが放送されていたのは知っていたが手を出していなかった私は、クラスの友達から何気なしに話を振られて意気投合。原作マンガは当然の如く全巻揃え、放送翌日は感想を言い合うという日々が続き、最終回を迎える寂しさを感じていた中、そいつは突如来襲した。隣のクラスの、特に話した事もない隠れ同人作家が私たちの会話に単身で吶喊してきたのだ。今にして思えば、性質も含めて正に爆弾だったと言えるだろう。
私たち……特に私はその未知の概念に呆気なく陥落した。……そう、掛け算である。
その作品が公式で扱うモノの中では決して有り得ないカップリング。特に男性同士のそれは背徳感も伴って既存の性癖を粉々に打ち壊し、新たな世界の扉を開いた。要するに腐っただけなのだが、特に趣味らしい趣味もない私はのめり込む事になってしまったのだ。高校三年間で煮詰められた性癖は大学に入って自由を得た事で爆発したのである。
そんな経緯で一人の腐女子が誕生してしまったわけだが、私の推しカプは範囲が狭い。遥か昔の時代から同じ作品の同一カプのみを推し続ける仙人のような先達ほどではないものの、一度コレと決めたらしばらくの間はそればかりになってしまう。そういう同志は割と多いが、新しい作品を題材にする事が少ないので目立つ事はない。延々と同じところを掘り続けているだけなのだから当然だ。……別に上手い下ネタを言ったつもりはない。
活動拠点の地元オンリー。長く続けていれば絵の技術もそれなりに向上したが、特筆するようなものでもない。規模も小さく、本当に噴けば飛んで跡形もなくなるような個人活動だった。
長く続けていられるのも実家が裕福だからで、その家族の理解を得られている事が大きい。単に遠くから生暖かい目で見守られているだけともいうが、優秀な兄が十分以上に両親の期待に応えているからその恩恵に預かれているというのが正直なところだ。本業だってコネ入社の定時上がり常連である。
特に将来の展望などない。アラサーと呼ばれるような年になって結婚を勧められもしたが、この趣味を辞めるつもりはないし、諦められているのかそこまで強く言われない事もあってズルズルと続けている現状維持が続いている。
同人作家としても向上心はない。ただ好きなモノを書いて、細々と同好の士相手に活動を続けていれば満足できるような、そんな埋もれる存在でしかなかったのだ。
そんな私の運命が変わったのが、地元の小規模イベントでの出来事だ。何故か隣のスペースにザリガニの怪人がいて、その一部始終を横で体験してしまったのが原因である。
特に私が何かしたわけではないのだが、その一部始終を撮影していた動画が拡散した事で私本人の知名度が上がってしまったのだ。作品やサークルではなく、本人が有名人になってしまうという、作家としては困った状況である。
事件当初の私は正直なところ甘く見ていた。例の世界爆弾テロ事件で怪人とヒーローの存在が表に出て、これまでロクに情報がなかった日本でも騒がれ始めていたのは知っていたが、世間がどれほど情報を求めているのか理解していなかったのである。
怪人が現れて、追ってヒーローが現れて一方的に怪人をバラバラにした上で箱詰めにして去っていた。絵面はセンセーショナルだが事実として見ればただそけだけなのに、あらゆる方面から接触を求めてきた。警察は仕方ないとはいえ、全国区のテレビ局や新聞、雑誌、大量のニュースサイトなどから取材を受ける羽目になったし、その中には海外のメディアも多くあったのだ。
当然、同人活動どころか日常生活にも支障をきたすレベルで私の周囲は大きく様変わりしてしまった。というか、会社を辞める羽目にまでなってしまった。
あのザリガニと接触してしまったせいで、とんだターニングポイントになってしまった。確かに木っ端な弱小同人作家でしかなかったが、その生活に大きな不満もなかったというのに。
撮影されて拡散した動画の中に、特定可能な者が少なかったのも理由の一つだろう。スペースを乗っ取られた人はともかく、周りの作家連中はほとんど顔が写ってなかったし、やたら目立っていたガラの悪い三人組も正体不明のままだ。結果としてスペースを乗っ取られた知人と私だけが割を食う羽目になったのである。……というか、あの三人組はなんだったんだろうか。
「切り替えていこうと思うんだよね」
あの事件以来、巻き込まれた者同士という事で会う機会の増えた隣スペースの知人……大谷さんというのだが、彼女と宅飲みしていたらそんな話を切り出してきた。
「切り替える?」
「私たちはあのザリガニのせいで変なイメージが定着して身動きがとれなくなったけど、コレを逆に利用できないものかと」
なるほど、ダシにつかうというわけか。こちらが一方的に被害を被っているわけだから、利用したところで罪悪感などないし。無職で怖いモノもない。
「だから、この知名度を利用して動画配信者になろうと思うんだ」
「いや、その発想はおかしい」
なんか、ネットで使われている家族会議ネタみたいな事を言い出した。今日はまだあんまり呑んでないはずなのに、いきなりフルスロットルである。
「実は試しに動画チャンネル作ったんだけど、結構な反響あるんだよね。あっという間に収益化したし」
しかし、どうやら本気どころかすでに行動済みらしい。すでに顔も割れているためガワも使わずに顔出ししての配信、しかも大した事をしてるわけでもないのに結構な視聴数やチャンネル登録を稼げているという。
配信上での彼女のハンドルネームは『大家さん』。本名バレしているのでそこまで隠す必要もなかったか、名字をもじっただけだ。あのザリガニに乗っ取られたスペースを掛けている部分もあるのかもしれない。
「というわけで、君もやってみない? コラボとかしてもいいかも」
「正直、あんまり興味が……。変に目立っちゃったけど、私ってただの弱小同人作家でしかないわけだし」
「私は適当に色々やってるけど、その作家面を押し出していけばいいんじゃない? 推しカプの話をするとか、ライブで原稿書くとか。ウケるかは未知数だけど、同人作家としても今のままよりはいいと思う」
「推しをアピールか」
あまり向上心のない私だが、推し仲間を増やしたいという願望はある。これで同じカプの本を描く人が増えたりしたら普通に嬉しいし、普通に欲しい。
「……よし、やるだけやるか」
大体、酒の勢いでそれは始まった。
自信はまったくなかったが、大家さんからノウハウを聞いて機材やら登録やらの準備を開始。シアタールームとして使っている実家の地下室が防音も効くのでそこを使わせてもらって、配信のマネごとを始める事にした。父の趣味だったらしいが、今はあまり使われていないので家族の了承も容易にとれた。
配信内容は超適当かつ活動に関係のないものも多いが、元からの知名度のせいか結構な視聴数を稼げてしまった。真面目にやっている配信者に申し訳ないと思うほどに。
この活動に合わせてペンネームも変えた。ありふれていて印象にも残らなかった名前から一転、『隣のザリガニ』という奇抜なものだ。すでにあのザリガニとイメージが切り離せなくなっている以上、一蓮托生である。
……イベントには参加できないが、通販を使っての販売数も増えた。ザリガニのおかげな気がして複雑だが、過去の出版分まで売れているのだから方向性としては間違っていないのだろう。
私も大家さんも配信は一切飾らないキャラで行く。お互いアラサーである事を隠したりしないし、利用しているザリガニへの不快感や、こんな状況になった原因のマスコミへの暴言も多い。
芸能人でもない腐女子二人が流行りの二次元モデルのガワも使わずに酒呑みながらトークするだけの番組など一体誰が見るのかとも思ったのだが、意味分からないほどに多くの人が配信を視聴している。普通にファンまで出来て困惑するしかない。
時間があるから多く配信できたというのも大きいのだろう。順調過ぎるくらい順調に視聴数は増えていった。当初の目的である推しカプの普及はそこそこでしかないが、そこそこでも効果があるのだから有用だったのだろう。というか、そのカップリング本を作った人は直接同人誌を送ってくれたりするので、下手に接続数が増えるより嬉しかった。ゲストとして呼んでみたりもしたが、今のところ誰も出てくれないのは悲しい。
毎回トークだけしてるわけでもなく、『ザリガニチャレンジ』という名の挑戦企画も色々やっている。
推しカプを熱く語った上でどれだけ同意を得られるかなど、原作者に怒られそうな企画は自重しつつ、時には裏で黙認をとって上手く折り合いをつけていく。
そんな中で視聴者から指摘されて一つ話題になったのが、あの事件の際にザリガニから手渡された同人誌だった。どうもあの同人誌、大量に用意されてた在庫は爆発に巻き込まれて紛失し、現存するのは私が保有する一冊だけなのだという。作者が折りたたまれた上でバラバラにされたから再販の可能性もない。
「あれ、事件当時結構な値段で売ってくれって声が多かったんだよね。私が過去に出した本の総額より高かったからムカついてスルーしたけど」
「その場で殺された怪人本人が書いた同人誌とか希少性がヤバいって話じゃないんだけど」
「隣のザリガニはあくまで隣にいただけなんで」
これまでの活動を否定されたようで、当然いい気はしない。
「よし、じゃあ今ならその同人誌がいくらになるのか、この値段だったら間違いなく買うっていう金額を視聴者さんに聞いてみよー」
「えぇ……」
台本もないもないフリートークなので、全部思いつきである。なんの準備もしていなかったので、その同人誌の表紙をスキャンしたり、リアルタイムアンケートの仕組みを作ったりして翌日その企画をやる事になった。
「実際に売る気はないんだけど」
「金額次第って事で。その気になったら本当に売るから冷やかしはお断りですっ! まずはウチのザリガニに予想金額を書いてもらって、それ以上だったらチャレンジ発生!」
「ザリガニじゃないし。隣にいるだけだし。……チャレンジの内容は?」
「視聴者さんから調理用のザリガニが送られてきたので、それを食べてもらいましょう!」
「また微妙なラインの罰ゲームを……」
とはいえ、適当に大きな金額書いておけば大丈夫だろうと、ボードに一〇〇万と書いて立てておく事にした。これでもないだろうが、あまり現実味のない金額を出すと番組としても面白くないからだ。
配信画面で横に写っている『リングに散る蝶』というタイトルの同人誌はお世辞にもいい出来ではない。こんなのが一〇〇万円を超えるなら、そりゃプライドもグラつく。
「それでは、ここから開始! お、結構な数の入札が」
「いや、ただの確認でオークションそのものじゃないからね。……って、本当に一〇〇万超える奴がいるのっ!? ネタで本当に売りつけるよっ!?」
と、笑っていられたのもそこまでだった。
「……ちょっとお酒呑んでいい?」
「ど、どうぞ。……ええー、なんでドル指定やねん」
アンケート結果では、ちょっと絶句するレベルの金額でのバトルが続いていた。しかも、表示されているハンドルネームが外国の企業名や研究施設のようなものも多くある。
……裏でIP調べてみたらガチだった。独占インタビュー付きなら倍額でいいとか、明らかに冷やかしではない。
「え、えー、ちょっとシャレにならない金額が出てきたのここで打ち切りって事で!」
「放送事故か。マジか……というか、所有してるのが怖くなってきたんだけど」
盗まれそう。本気で入札の意思がある相手はさすがに個別に対応はするとして、あまり手元に置きたくなくなってきた。……とりあえず金庫は買って……この地下室に備え付けの金庫あったわ。
「この後どうなったかは顛末のまとめ動画を用意します。動画が出なかったらガチでヤバいって事なので華麗にスルーを求む。というか、私も呑むしかない! 調理済のザリガニ持ってくるぜ!」
「まあ、馴染みはないけど、ザリガニ料理って海外なら普通にあるらしいし……」
大家さんが持ってきた料理は普通に美味しそうだった。ザリガニですってネタバレされなければ分からない見た目になっている。
「おお、なんか普通に美味しそう。では……エビだコレっ!? すごいね、エビですって言われたら本当に騙されそう」
「実際、箱にザリガニって書いてあっただけでロブスターだしね」
「エビじゃんっ!? というか、騙されたの私って事っ!?」
送られてきた箱と、用意してあった大家さんの調理画面を確認すれば本当にロブスターだった。しかもちょっとお高いやつ。
その後、何故か事あるごとに視聴者からロブスターが届く事になり、番組の定番ネタと化してしまった。何故かロブスターのスポンサーまで付いてしまうというオチ付きだ。いやー、実況配信怖いわー。
……というか、あの同人誌ほんとにどうしようかな。
入札者にミナミとか居そうで怖いなw
マスカレードさんが廃棄するためにミナミに依頼しそうw
マスカレイドさんと直接喋ったってだけで希少価値なんやなって
大家さんも隣のザリガニさんも応援してます